天人地三才の思想その2
数あるブログの中から、お立ち寄り頂き誠にありがとうございます(^^♪
京都市東山区三条の鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOUのブログです☆
今回は、天・人・地という「三才」について、
第二回目ということになりますね。
天・人・地の中で大事なのはどれだ?
三才とは、もともと全能であった一つの世界(太乙・太一・太極)が「天・人・地」という3つのものに分かれたがために、それぞれ長所・短所を有して、各々の役割と性質=能力を分担することとなったと考え、「三才」というのでしたね。
つまり、三才とは「天・人・地」のことですが、
換言すれば「陰」と「陽」と「その間」のことを言っているのです。
1つの事物を3つに分けた形になります。
もっといえば、1つの物が存在した時点で、「三」がすでに生まれているといえます。
説明するのにまわりくどくなりますが、
「デザイン」について考えてみましょう。
「デザイン」とはなんでしょう?
ググると、審美性を追求する計画行為みたいに書かれていますが、
デザインをデザインたらしめているものは何か。
それは、「差異(さい)」です。違いですね。
白の物体が白の背景の上にあったら、そこにデザインはありえません。
差異こそが「デザイン」を生み出すのです。
何が言いたいのかというと、
エッジ(境界)があれば2つのものを2つであると認識することはできるのですが、エッジがなければ認識できないのです。
つまり、白の物体が存在した時点(存在すると分かった時点)で、
白の物体と、それ以外の物という認識が成り立ちます。
と、同時に白の物体と、それ以外の物とのエッジ(境界)も認識しているわけです。
一を認識した時点で、三が成立している。
そして3つのものの組み合わせで多様な色彩(色の三原色・光の三原色)であるとか、素粒子の分野ではクオークであるとか、DNAの遺伝暗号であるコドンであるとか、八卦の成り立ちであるとか、多様性がそこから生じてくるわけですね。
お父さんとお母さんから子供が生まれて、また子供同士まじわって多様な人間が生まれると分かりやすいと思います。
これを、「一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」と老子は謂ったわけです。
さて、ここで大切なのは、「エッジ(境界)」です。
「天・人・地」でいえば「人」。
人がいるから、天も地も認識できる。(なんと傲慢なのでしょう( ´∀` ))
天地宇宙が存在する意味も捏造できます。
人がいるから、天と地の区別もつけられるのです。
あそこから上が天で、ここから下は地だ、とか言えるんですね。
だから、陰と陽も大事ですが、その間が一番大事なんですよーという話です。
基準になりますから、
真ん中が大事なわけです。
「守中」
さて、三才の代表格は「天・人・地」ですが、
宇宙でいえば、「日・月・星」
地球でいえば、「水・火・風」
人でいえば「精・気・神」(=「体・心・魂」「形・気・心」)という三宝(三位一体)。
東洋医学で3つのものといえば、たくさんありますね。
「気・血・水」とか、脈の「寸・関・尺」とか、三陰三陽とか、前三田・後三田とか、「督脈・任脈・衝脈」、三焦(上・中・下)とか、「生・旺・墓」、八卦の卦象とか、外三合内三合など・・・
3つのものはたくさんありますが、「三才思想」というのは、ただ単に3つに分けただけのものではありません。
そこには、「守中」を重んじるという概念があるのです。
先ほども、真ん中が大事だと述べました。
真ん中というのは、儒教でいえば「中庸」のこと。
仏教でいえば「空」。
道教でいえば「無」。
キリスト教でいえば「愛」(なぜ愛なのかはまた後日)。
易経にも「一陰一陽之を道と謂う」という言葉がありますが、
ようするに偏陰偏陽はよくありませんよということです。
陰に偏ったり、陽に偏りすぎたりしてはダメですといっているのです。
一陰一陽がいいと言っています。
じゃあ3つあったらアンバランスだしダメじゃんとなりそうですが、
陰と陽が偏らないように監督している基準となる「間」が一番大事なのですよ、ということですね。
これを、「守中(しゅちゅう)」=「中を守る」と云います。
心身一如(しんしんいちにょ)
心身一如といいますね。
ココロとカラダは一つのものですよ~という話。
では、心と体は何によって一つになれるのですか?
たしかに、心の状態って身体に影響しやすいですし、体調が悪ければ心も塞ぎやすくなりがちです。
身が陰で、心が陽であるとすれば、
この陰と陽の間にも何かがあるはず。
そして、心と体を間に入ってつなぐものがあるはずです。
日々の出来事でうつろいやすい心身の状態を、間に入って舵をとってくれるものは一体何なのでしょうか?
答えは「気」です。
「精・気・神」といいます。
つまり、
精(身)と神(心)の間にあって、両者をつなぐものは、「気」です。
分かりにくければ、「気」≒「呼吸(息)」と思えばよいのです。
気息(きそく)ともいいますしね。
「呼吸」によって、心と身を一如のように「つなぐ」のです。
これを、「気功」というのですね。
(気功の「功」とは、つながることです。本来は内気を高めることで外気とつながり、外気を内気に変えていくことを指します。成功とは、功と成るの意です。)
ココロとカラダの「中」である「気」を調えることで、「心身」を統合・コントロールすることができます。
これが、「中を守ること」が大切である、という所以です。
呼吸の陰陽
ひとくちに「呼吸」と言ってますが、「呼吸」も陰陽のリズムです。
さて、どちらが陰でどちらが陽か。
どっちでもいいのですが、ここはこだわって、
「呼は陰、吸は陽」としましょう。
あれ?っと思った人も多いはず^^
吐くのは、空気が外に出るから陽じゃないの?
吸うのは、空気が内に入るから陰じゃないの?
でも、人間のカラダの中でいえば、吐くときは横隔膜や肺がしぼむので陰。吸うときは横隔膜や肺が膨らむので陽といえますね。
陰陽はみる視点によって異なります。
死生で考えてみましょう。
死ぬとき、人は息を吸う?吐く?
死ぬことを、「息を引き取る」っていいますね。
引き取るということは、吸うということ。
じゃあ、死ぬときは息を吸うんだ!
…ってことは死ぬということは、やっぱり「吸」が陰じゃん。
ってなっちゃう。
だから、
赤ちゃんが生まれる時、オギャーと泣くのは息を吐いてるので、生は呼。
死ぬ時はその逆で死は吸、という考え方があります。
筆者はこの意見に反対でして、
実際にはどうなのかというと、
死ぬときは下顎呼吸となって呼吸が荒くなって次第に弱くなって最後吐いて亡くなられるケースと、吸ってなくなられるケースがあるのですが、
要はどっちで止まるかという話で、基本的には死んで横隔膜が弛緩すれば吐くのです。吸った場合というのは、吐いたタイミングで横隔膜が弛緩して戻るから吸っているだけなんですね。
赤ちゃんも、オギャーと泣く前は、肺に充満した羊水を全部吐ききった状態で産まれてくるので最初は吸うしかありません。空気を吸わないと声がでませんからね。
ということで、やはり死ぬ時は吐いて、生まれる時は吸う。
つまり、呼吸の陰陽は、呼が陰で、吸は陽ということになります。
(中国ではどちらかというと、こちらの考え方のようです)
呼吸の陰陽の間には何がある?
呼は陽、吸は陰ということになると、
上図のように、「吸」は陽なので昇る働きがあります。
「呼」は陰なので降りる働きがあります。
昇るのは木の力を使って昇ります。
降りるのは金の力を使って降りるので、
(経絡もそうですよね。陽経は金穴から始まり、陰経は木穴から始まります)
「吸」は東木、つまり「肝」の働きによって行われます。
「呼」は西金、つまり「肺」の働きによって行われることが分かります。
同時に肝に蔵されている「魂」は陽なので天に昇り、肺に蔵されている「魄」は陰なので地に降りますよね(死んだときには)。
そして、実は呼吸の呼と吸のあいだにも真ん中というものがあって、
それは何かというと、「脾胃」つまり土なんです。
脾胃は腹にあって、土とは肚(はら)のことですから、
本来、呼吸は腹式呼吸で行われなければならないのですね。
脾胃の中には、水と火があります。
湿土と燥土ですね。
これによって、中央である脾胃において一身の上下の動きを担っているわけです。
身体の一番「中」の「中」は脾胃なんです。
そして、脾胃であるお腹のところには、「ふいご」があるのですね。
この「ふいご」が膨らんだりしぼんだりして、呼吸運動の要となったり、一身の流れすべてを統括する中心を担います。
この「ふいご」のことを、「橐龠 tuo yue」といいます。
橐は袋を意味し、龠は笛を意味します。
天地不仁、以萬物爲芻狗。「天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。
聖人不仁、以百姓爲芻狗。「聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)をもって芻狗となす。
天地之間、其猶槖籥乎。「天と地の間は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。
虚而不屈、動而愈出。「虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きていよいよ出ず。
多言數窮。不如守中。「多言はしばしば窮(きゅう)す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。老子『道徳経』第五章
老子道徳経の中に「橐龠(たくやく)」という言葉がでてきています。
そして、最後に「守中」という言葉がでてきていますね。
いちおう現代語訳をのせますと、
天地自然の働きに仁愛の心は無い、万物を使い捨てにしている。
「道」を知った聖人の政治も仁愛の心は表さない、民衆に対して素知らぬ顔をしている。
天地自然の働きは空気を送り出す鞴(ふいご)の様なもので、
空っぽの中から尽きることなく万物が生み出され、動けば動くほどに溢れ出てくる。
仁愛をいくら言葉で言い表そうとも実行できずに終わるのならば、余計な事は言わない方が良い。
お腹がふいごのように膨らんだりへっこんだりして、
一身の気を動かしている状態が健康といえるのです。
これは、赤ちゃんの時にお臍を介して呼吸しているのですが、これを「胎息」といいます。この「胎息」を再び使えるようになれれば一番良い、という話になってくるわけです。
で、この「橐龠(たくやく)」がちゃんと働くためには「虚」である必要がある、と言っているのですね。
何が虚である必要があるのでしょうか。
「橐龠(たくやく)」が送り出すのは「気」です。
もちろん、ふいごである「橐龠」の中身がつまってしまっていたら、充分気を送りだすことができないでしょう。
ここで、気の古字をみてみましょう。
気の古い字は、「炁」と書きます。これで、「き」と読みます。
気=气=氣=炁 です。
「炁」の字の上の「无」は「無」という字。下の「灬」は「火」という字。
「炁」は「無火」という意味です。
ここで、人において火に属するのは「心」です。
つまり、「無火」というのは「無思無慮」の状態をあらわしています。
「橐龠」が機能するためには、心が空虚である必要があると言っています。
要するに、心がいろいろなものにとらわれず、赤子のように空虚になることができれば、「橐龠」がしっかりと機能して赤子が胎内で呼吸していた時のように生命力に満ち溢れた状態に還ることができる、ということです。
心死神活
「心死神活(しんししんかつ)」という言葉があります。
これは、心が死ねば神が活きるという意味です。
ここでいう「心」というのは後天的な意識のことであり、それに対して「神」とは先天的な意識=無意識の領域のことです。
あちこちにとらわれる心を殺すことができれば(雑念を払うことができれば)、
無意識領域の「神」が働いて無限の気や力が溢れでてくる、という考え方です。
だから、心が偏ることなく中を守ることが大切である、という教えこそが実は「天・人・地」三才の思想であり、太極観念の真髄なのです。
さいごに
さて、心身の間には呼吸があって、呼吸の間には脾胃があって、脾胃の中にはふいごがあって、ふいごの中には「空」があり、空とは結局は心を無にすることという、入れ子構造みたいな話になってしまいましたが、
突き詰めると「空(虚)」が最後にのこるのですね。
日常で「守中」を意識すれば、いいこともたくさんあります。
たとえば、自分を抑えることにだって使えます。
やめておけばいいのに、寝る前に甘いものを食べたいとしますよね。
この時、甘いものを食べたい自分と、甘いものを食べたら太るし食べたくない自分がいますよね。
どっちも自分です。
こんな時、偏陰偏陽はよくないと知っている自分がいれば、
どっちの見方をするのもよくないということになります。
甘いものを食べたい自分も認めて、甘いものを食べたくない自分も認める。
あぁ、そんな2つの自分がいるのか、と考えれば、意外と冷静になれる(?)と思います。
今日はちょっとストレス溜まっているからあまり抑えつけない方がいいか、と思うなら食べるし、よくよく考えてみると、そこまで食べたいとも思ってなくて、なんか義務的に習慣的に食べてるんだなと思えば、そんなに食べたいという気持ちもなくなってくる。
なんか食べなきゃ損する、みたいな気持ちで食べてしまっていたんだ、と気づくことができたり、それだったら明日か明後日でも本当に食べたい時に食べればいいか、と考えることもでてくるかもしれませんw
いろんな物事が、あまり執着なく考えることができるようになれればいいですね。
(禅僧みたいに毎日が同じでテンションの浮き沈みなく生きるよりも、いろんな誘惑に振り回されて波乱万丈の方が人生醍醐味があるという考え方もあるでしょうけど)
でも、人の命はろうそくのようなものです。
エネルギーを使えば使うほど、早くなくなります。
あれも欲しい、これも欲しいと色んなものに心が左右されて、
エネルギーを消費していたら、
あっという間に燃え尽きてしまうと思いませんか?
だから、養生という点では、心があっちこっちに動き回らないようエネルギーをちゃんと守る、
「守中」が大切なのですね。
三才の思想、なんとなく伝わりました?
▼「天人地三才の思想 その1」はこちら
さまざまなお身体のお悩みは
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鍼灸治療に役立つ八卦の基礎知識①
こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は鍼灸治療に役立てるための八卦の基礎という内容でお伝えできればと思います。
八卦といってもあまり馴染みのない方も多いのではないでしょうか?
八卦は占いだと思っているそこのあなた!
占いだけではないんですよ〜
でも、八卦は『易経』という中国最古の文献に記されたものであり、『易経』は卜占の書なので、占いであることは間違いありません。人生の選択を迫られたときに現状を把握し、道しるべとなる占いとして最たるものです。
占いはもちろんですが、『易経』の良いところはその哲学的な思想です。古代中国の文化や世界観の根底にはこの「易」の哲学思想があり、最古でありながら非常に優れた内容です。
特に、鍼灸や東洋医学などの養生の分野では『易経』の哲学的な部分が結構役にたちます。
今回は、『易経』の中の八卦に焦点をあてて、ご紹介していきます。
1.八卦とは何か
まず八卦の読み方です。どちらでもいいとは思うのですが、正しくは「はっけ」ではなく、「はっか」と読みます。
八卦は、これまでブログでご紹介してきたように、無極→太極→陰陽→四象の順に一元の気の状態を分けてみてきましたが、その延長として、老陽・少陰・少陽・老陰の四象をさらに陰陽に分割して、八つに分けたものが八卦となります。
易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず
《易経・繋辞上伝》
陰陽の生成変化。「易」は固定したものの見方ではなく、自然・事物の時系列に則した変化の規律をあらわす哲学です。自然は不断の変化流転をしつづける反面、その根底に変化しない大本の規律が存在する、それを表現したのが「易」です。
考えてみれば、「易」の字は「日」と「月」から成ります。
《易経・繋辞上伝》に
一陰一陽、之を道と謂う
《易経・繋辞上伝》
とありますが、陰と陽の法則を探求しその変化の規則をみることで、宇宙の普遍的な法則に従って生きることができる、ということです。
四象は陰陽の気の大まかな区別や説明に留まるものであったのが、八卦になると宇宙の具体的な事物や人の認識物を表します。例えば後述する自然の事物(天地・水火・雷風・山沢)や方位(方角)、人物の性質などです。
さらに陰陽は2の累乗としてどこまででも細分化して広がりますが、《易経》にはこれらの基本となる八卦の上に八種類の八卦をさらに重ねて8×8の六十四卦(2の6乗)までを表現しています。
この大成卦と称される六十四卦といえども、基本となる八卦(小成卦といいます)が二つ重なって成り立つので、やはり基本の八卦をおさえておくことが大切です。そのため、今回は八卦の話にしぼって述べていきたいと思います。
上記の図をみてみてください。
なにやら記号が並んでいますね。
「ー」の記号と「- -」の記号が重なることで、八卦は表されます。
「ー」は陽爻(ようこう)といい陽を表す記号。
「- -」は陰爻(いんこう)といい陰を表す記号です。
一番下の爻(初爻)が基本となります。
一番下の爻が陽爻なら、その卦は陽卦に属し、陽から分岐したものとわかります。初爻が陰爻なら、陰卦だとわかります。図の「陰から派生する卦」「陽から派生する卦」を参考にみておいてください。八卦といえども陰陽にわけるとすればこのようになります。
以前のブログのおさらいになりますが、
四象は、
陽爻の上に陽爻を重ねて、陽中の陽で「老陽(太陽)」(老と太は同じで大きいという意味)
陽爻の上に陰爻を重ねて、陽中の陰で「少陰」
陰爻の上に陽爻を重ねて、陰中の陽で「少陽」
陰爻の上に陰爻を重ねて、陰中の陰で「老陰(太陰)」
という具合に表されます。
八卦の場合、これら四象それぞれの上にさらに陰爻・陽爻をのせて表します。
記号の三段重ねで表しています。
老陽の上に陽爻を重ねて、「乾」(けん)
老陽の上に陰爻を重ねて、「兌」(だ)
少陰の上に陽爻を重ねて、「離」(り)
少陰の上に陰爻を重ねて、「震」(しん)
少陽の上に陽爻を重ねて、「巽」(そん)
少陽の上に陰爻を重ねて、「坎」(かん)
老陰の上に陽爻を重ねて、「艮」(ごん)
老陰の上に陰爻を重ねて、「坤」(こん)
以上が、八卦の表し方と名称です。
「けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん!」と呪文のように唱えてればすぐに覚えられます。この順番で覚えてみてください。八卦の名称を覚えたら、記号も覚えておきましょう。
別に覚えたくもないわって方も多いかもしれません(^^;
特に自慢にもならないし、誰かに話したら怪しい人と思われるかもしれませんね。
でも、鍼灸治療には役に立ちます!笑
記号の覚え方は…
普通に覚えてしまうのがいいかもしれませんが、どうしても覚えにくいという方は、漢字に注目してみるといいかもしれません。
乾は「乞」の字から連想して、「三」という記号。
兌は上の「八」が別れているので、
- -
ー
ー
という記号。
というような具合に、漢字からイメージして覚えてしまうという荒業です(笑)
とくに、「離」と「坎」と「艮」がすこし無理がありますね。
これだと怒られそうなので、
さらにもう一つの覚え方を考えてみました。
VS(バーサス)関係で覚える方法。
乾は天なので、陽の極みだと分かりますよね。だから陽爻3つ。
坤は天に対する地なので、天の反対ですべて陰爻から成り立ちます。
震は雷なので、震え動く性質がありますよね。
これは冬から春に移り変わるフェーズ。まだ万物が地上の寒気に押し退けられ、地中にこもって顔をだそうとしない時に、ようやく地中の奥で揺れ動き、まさに芽吹こうとするエネルギーを発動しはじめる時期です。
ということがイメージできれば、一番奥深く(底)に陽爻があって、その上に地面である陰爻二つが乗り重なっていることが想像つきます。
「震」と「巽」はVS関係なので(風神雷神でもお馴染みですよね^^)、巽は震の真逆の並びになると覚えればいいのです。
次、「離」と「坎」。火と水ですね。
火が分かりやすいかもしれません。
ろうそくの火を思い浮かべてください。
ろうそくの火は周りが温度が高くて赤いですよね。
中心が温度が低くて青色です。
つまり、陰爻の上下を陽爻で挟んだような状態が連想されるでしょう。
だから、「離火」は陽爻の間に陰爻があります。「坎」はその逆と覚えればいいのです。
最後、「兌」と「艮」。「山沢通気」といって、山と川があれば気が通る、というのですね。有名な竜安寺の枯山水を見たことがありますか?
枯山水庭園は、まさに山と川を表現しているのですが、
竜安寺の庭園の入口に、大きく「通気」という字が書かれているので、ぜひ探してみてください(^^♪こんなところにも、八卦が関わっているのですね。
さて、話が逸れました。
山は底がガッチリしてなければ支えられませんよね。
だから下二つは陰爻。そして、山肌部分は木が生えて水分のやり取りやガス交換などをして動植物を育む陽の性質があります。
だから、「艮(山)」は、陰爻二つの上に、陽爻一つ乗った形です。
川はその逆と思えばいいわけです。
どうです?なかなかイメージしやすいかと思います。
暇な方は覚えてみてくださいね笑
2.八卦の性質と五行
八卦の段階となると、陰陽という分類から自然の具体物を表す意味合いが強くなると述べました。
八卦にはそれぞれ表すものがあります。それをご紹介していきます。
まず八卦と自然の事物との対応です。
乾=天
兌=沢
離=火
震=雷
巽=風
坎=水
艮=山
坤=地
天・沢・火・雷・風・水・山・地(てん・たく・か・らい・ふう・すい・さん・ち)と覚える方法もありますが、乾は天、坤は地…というように八卦と対応させて覚えたほうがいいと思います。
これを覚えておくことで、八卦の性質も理解しやすくなるだけでなく、六十四卦も覚えやすくなります。
ちなみに、沢は川のことです。他は問題ないと思います。
八卦の性質を、これら八つの自然物で象徴して考えていこうというもの。ちょうど五行を木・火・土・金・水で象徴した具合と似ていますね。
この八卦に、今までご紹介してきた五行を当てはめてみましょう。
①乾と兌=金
②離=火
③震と巽=木
④坎=水
⑤艮と坤=土
となります。なぜこのようになるかというのは、後ほどご紹介する「後天八卦」のところで少し触れます。
しかし、①乾と兌は天と沢で非常に澄み切った印象があり「金」。②離は火なのでそのまま「火」。③震と巽は雷と風で「木」。④坎はそのまま「水」。⑤艮と坤は山と地で「土」。
というように、なんとなくマッチしているのがわかりますね。
3.先天八卦と後天八卦
八卦が自然を表す例の一つに方位(方角)があります。
この方位に関しては、なぜか先天と後天という二つのバリエーションがあります。作ったとされる人物や成立年代が異なるためですが、この章ではこの先天八卦と後天八卦についてご紹介していきますね。
先天八卦は、伏羲がつくったとされ、伏羲八卦方位とも云われます。
実際には、先天八卦図の方は11 世紀の北宋の学者、邵雍(しょうよう)の著作《皇極経世書》が初出であるらしく、作者であろうと云われています。
下図をみてください。
ちなみに図の方角のみかたとして、南が上、北が下にあることに注意してください。太陽の黄道がある南を上にもってきているためです。普通の地図と方角の表し方が逆になるので、混乱しやすいです。
両者の役割として、
先天八卦は天道をあらわし、
後天八卦は地道をあらわします。
なんのこっちゃという感じですが、
後ほどその配置をみていくとなんとなく分かります。
先天八卦は自然の象から生まれ、
後天八卦は生化の理を源としています。
それぞれ解説していきましょう。
まずは先天八卦の説明から。
先天八卦図に示した矢印のとおり、上から乾・兌・離・震まで順番に左回りで並んでいきます。次に上に戻ってから巽・坎・艮・坤という順番で反対の右回りに並んでいきます。
この配置の理由は、『鍼灸治療のための易経入門』(小林詔司/著)にわかりやすい記述がありました。
古来、天道(つまり天体)は左旋するという原則があって、陽から生まれた卦の流れは震までを順として優位とし、乾・兌・離・震と左に配置し、巽から坤までの四卦は陰から生じたもので、天道がとらない順序なので逆とし、右旋するとしています。
ここで、天道は左旋するとありますので補足します。星の回る方向は北の空と南の空で違って見えますし、北半球と南半球でも逆となりますが、地球上のどこであっても自分が北極星の方向へ向いていれば、反時計まわり(左旋)になるわけです。
ここで、八卦が自然をかたちづくるさまを表しているのが(易経の儒教的解釈の付け加えになるのですが易経十翼の一つ説卦伝にある)
天地定位、山沢通気、雷風相薄、水火不相射、八卦相錯
《周易・易伝》
であり、
天地位を定め、山沢気を通じ、雷風相薄(あいせま)り、水火相射(いと)わず、八卦相錯(まじ)わる。
とあるように、
世界は天・地・山・沢・雷・風・水・火の働きにより成り立ち、
さらに
雷(震)は万物を動かし、風(巽)は万物を散らし、雨(坎)は万物を潤し、日(離)は万物をかわかし、艮は万物を止め、兌は万物を悦ばし、乾は万物を主であり、坤は万物を包蔵する。
という内容の記述があり、八卦の自然における役割と世界の成り立ちが伺えます。
これらの働きをふまえたうえで、
先天八卦は自然の姿そのものを表した図といえるでしょう。
第一には、天地を上下の軸に配置し、日が昇る明るい東に火、日が沈む暗い西に水を配置しています。五行のところで説明した中華思想に則り、西北に山、東南の黄河を沢とし、西南から吹く風を巽とし、雷の多い東北を震として配置し、中国の自然の方位を代表させました。
第二には、先天八卦の配置が陰陽の消長を記録した陰陽図のようになっているため、自然を模した配置であるといえます。
八卦の陰爻と陽爻の並びや数に注目すると、陽卦である震・離・兌・乾が南の乾に向かうにつれて陽気が長じて陰気が減り、陰卦である巽・坎・艮・坤は北の坤に向かうにつれて陰気が伸びて陽気が消えていくさまがわかると思います。
先天八卦は万物自然の陰陽の消長を表しているため、正反対の方角にある(対面する)卦どうしは陰爻と陽爻が完全に入れ替わる反転の関係にあることも理解できます。例えば、兌の卦象(陰爻と陽爻で表される卦の記号のこと)は、陰爻二つの上に陽爻一つです。対面する艮は陽爻二つの上に陰爻一つで表され、互いの卦が反転の関係にあることがわかります。
他方の後天八卦を説明していきます。
南に火である離が来て、北には水である坎が配されています。
先天八卦とは異なり天地が上下の軸とならず、火と水という地で起こる現象を軸にしています。
よくいわれるのは、先天八卦は「体」であり、後天八卦は「用」であると。
つまり先天八卦は自然の姿そのものの「体」を表し、後天八卦はそれを人々の生活の中で応用する、つまり実用性を重視した「用」であるというのです。
人の生活は土地の上で成り立つものなので、坤(地)と艮(山)という土の性質をもつものを、それぞれ陰から陽、陽から陰へと転ずるところに配置し(つまり艮は北東で陰から陽へ転ずるところ。坤は南西で陽から陰へ転ずるところ)変化の土台としています。
東は春。物事の震い起こる時と場所として震を配置し、西は秋の収穫の悦びとして兌を配置します。
物事が震い立ち動き始めたものを風によって散らし、火を起こすので震(雷)と離(火)の間の東南に巽(風)を配置します。
残りの乾(天)は剛であり、金気の重く沈む性質から陰気を沈めて北方の坎(水)を生む意味で北西に配置されます。
面白いことに、
後天八卦の配置は五行の並びが時計回りに、相生の関係となっていることが分かります。
震と巽は「木」
離は「火」
坤は「土」
兌と乾は「金」
坎は「水」
と、ここまでは相生(木→火→土→金→水)の並びとなっているのですが、そこから先の
坎(水)と艮(土)と震(木)
の関係に注目すると、
この部位だけ土剋水、木剋土という
相克の関係となっています。
そして、唯一相克の関係となってしまう、艮(うしとら)の方角、つまり北東の方角を「鬼門」と呼ぶのです。
艮(うしとら)とは、十二支の丑寅(うしとら)の方角のこと。鬼の姿は、牛のツノを生やして、虎柄のパンツを履いているイメージはここから来ていると云われています。
余談でしたが、日本の様々な風習もこのような易や陰陽五行思想を背景に成り立っているのですね。
後天八卦は先天八卦より実用的であると述べましたが、使おうと思えば先天八卦も後天八卦もどちらでも使えます。
ただ、先天八卦は体質などその人がもって生まれたものをみるときに応用し、後天八卦は実際の施術に応用することが多いです。
4.八卦の色と内臓
五行に色があるように、
八卦にもまたそれぞれ
別の色の配当があります。
乾:青空色、白色、赤色
兌:赤色
離:紫色
震:青色
巽:緑色
坎:白色
艮:黄色
坤:黒色
また、五行に臓腑の配当があるように、
八卦にも臓腑の配当があります。
乾:大腸
兌:肺
離:胆
震:心
巽:肝
坎:腎
艮:胃
坤:脾
※「離」は胆ではなく、心であるとする考え方もあります。その場合、「震」「巽」両方が肝であると考えます。
※納甲法など、上記以外の臓腑配当もあります
食養生のヒントとして、
それぞれの内臓にあてはまる体質や不調の人は、
対応する色の食べ物を食べるといいのです。
4.八卦の応用
八卦を鍼灸治療に応用する方法は多数ありますが、ここでは身体と八卦の対応をご紹介します。
基本的には「用」である「後天八卦」を身体各所にあてはめて用います。
前セクションでご紹介した、八卦の臓腑配当を照らし合わせて、問題のある臓腑がわかれば、図にある部位を種々の方法で刺激して用いることが可能です。
八卦を鍼灸に応用する方法は、実はたくさんあります。中には複雑なものもあるのですが、順次ご紹介していきますね!
5.八卦の食べ物
八卦の色を参考に、
体質ごとに食べたらいい物があります。
乾の人は、大腸が弱い人。
頭部に問題がある人
赤や白の食べ物がいいです。
ex.トマトジュース、白菜、龍眼(漢方)etc.
兌の人は、肺が弱い人。
赤の食べ物がいいです。
ex.トマトジュース、赤パプリカ、イチゴetc.
離の人は、胆が弱い人。
身体の正中ラインに問題のある人。
紫の食べ物がいいです。
ex.紫キャベツ、ナス、紫芋、ワインetc.
震の人は、心臓が弱い人。
発芽🌱の食べ物、もやしやかいわれなど。
あとは青色の食べ物がいいです。
ex.チンゲンサイ、ほうれん草、にらetc.
巽の人は、肝臓の弱い人。
緑色の食べ物がいいです。
坎の人は、腎の弱い人。
豆類と白い食べ物がいいです。
ex.ナガイモ、白菜、太刀魚、豆腐etc.
艮の人は、胃が弱い人。
黄色の食べ物がいいです。
ex.カボチャ、きゅうり、苦瓜、みかんetc.
坤の人は、脾が弱い人。
黒色の食べ物がいいです。
ex.キノコ、キクラゲ、タコ、イカ、蓮根etc.
実際はまだまだありますが、
主な食材をご紹介いたしました。以上を参考にご自身の体調と合わせながら食してみるとよいと思います。
6.さいごに
いかがでしたでしょうか?
易の八卦自体は奥の深いものですが、応用するとなると結構シンプルに応用できるものも多いです。
とくに八卦は内臓や方角と相応していますので、そのあたりを治療目的とする内臓に合わせて、鍼の刺す方向や場所などで応用することでいくらでも幅広く活用可能となります。
手や、頭や、目や、足や、お臍や、はたまた全身の中にも八卦があり、それぞれを臨床で活用しておられる先生もいらっしゃいます。
私自身も、臨床の中で八卦を応用しますが、見方さえ合っていればその場で効果を発揮します。
太極拳や中国の伝統武術の中にもその背景に八卦が潜んでいます。
体操や食事など、養生法としても活用できますので、今後もご紹介していければと思います。
鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU – 京都東山三条「痛み」で悩む方のための専門院
陰陽五行説と臓腑
こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
これまでご紹介してきました、陰陽論と五行説が結びついた「陰陽五行説」および相生・相克による関係性。万物はこの陰陽五行説によって分類できますが、人間の内臓も陰陽五行説で分類します。
さらに、相生・相克などの五行間の関係性を応用して、内臓同士の相互作用をうまく説明することで中医学における生理学が確立しています。
今回は漢方や鍼灸の分野で重要となる陰陽五行説と内臓についてご紹介。
1.内臓と陰陽
中医学における内臓観は、現代医学における内臓とイコールではないのです。現代医学では当然内臓といえば実体そのものを指しますが、中医学では実体およびそれが司る機能までをも含めた意味で扱うことが多いです。
例えば、中医学では「心」といえば心臓実体そのものも指しますし、精神機能のことも含まれています。
また中医学でいう“脾”とは膵臓・十二指腸・小腸のことであり、脾と脾臓は異なります。中医学でいう“脾臓”とは「左側にある肝臓」と考えたりもします。脾といえば、胃腸などの消化・吸収系全般を指すこともあります。さらに、脾気や、脾陽などといったり、脾経ともなると経気の話になるので、どの部分の話をしているかを常に意識しておかないと、話がごっちゃになってしまいます。
現代医学と言葉は似ていて指す内容が違ったりするのもややこしいかと思います。とりあえず、中医学でいう内臓は実体そのものだけを指すのではないと思っていただければと思います。
内臓の話に戻りましょう。
内臓のことを五臓六腑とかいいますね。
臓と腑に分けられます。
あわせて臓腑(ぞうふ)と読みます。
臓の役割は、精・気・血・津液(水)といった基本物質を貯蔵し、代謝も行いながら必要な所に必要な量を分配して生命活動の基礎となるものです。
また、臓の主な働きは「蔵する(貯蔵する)」であり、感情・情志の蔵(くら)でもあります。そのため、精神的な負担が臓のダメージとなることもあれば、臓が病めば感情もおかしくなることがあります。
腑の役割は、摂取した飲食物(水穀「すいこく」といいます)などを消化し、身体に必要なものは吸収し、不要なものは排泄する機能を司ります。
この臓と腑も陰陽に分けられます。
臓腑自体は、体表に比べると陰です。
しかし、
臓と腑の陰陽関係を述べるならば
臓は陰
腑は陽
となります。
以下に理由をご紹介します。
臓は実質性臓器(内部が細胞実質で埋められている)であり、実体として充満しているため陰です。
それに対し、
腑は中腔性・管腔臓器であり内部は中空なので陽です。
また、臓は「蔵する」ということなので、精や情志といったエネルギーを内部に貯蔵し漏らさないことから陰であるといえます。
腑は飲食物(水穀)を消化・吸収・排泄する過程で輸送しなければいけないためよく動きます。それ故に陽であるといえます。
臓は「満ちて実すること能わず」。
腑は「実して満つること能わず」。
といいます。
つまり、臓は精気やエネルギーという気で満ちているが、水穀(飲食物)という物で実することはないと。反対に、腑は水穀という物で充実するが、精気は充満することはできない、ということです。
臓と腑で表裏の関係となっていることが、ここで分かりますね。
臓腑を陰陽・表裏に分けることで、
物を伝えて気化する段階の話なのか、
栄養素から得られた気というエネルギーを蓄える段階の話なのか、を分けて考えることができますし、
寒(冷え)と熱の問題とも多少関わってきます。
のちにご紹介していきます臓は陰経・腑は陽経というふうに経絡にも関わってきます。
それ故に治療する上では重要なことです。
2.臓腑と陰陽五行
臓は陰、腑は陽でした。
臓は加工と貯蔵のセンターで陰。
腑は処理と輸送を担う陽。
この分担によって生命活動が行われています。
陰陽と五行説が結びついたことから、内臓も陰陽・五行の別があります。
下の表に臓腑の陰陽と五行の配当を示しました。
これには便利な覚え方があります。
木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)という五行がめぐる順番に、
臓は、肝・心・脾・肺・腎
(かん・しん・ひ・はい・じん)と覚えます。
腑は、胆・小腸・胃・大腸・膀胱
(たん・しょう・い・だい・ぼう)と覚えます。
臓と腑は陰と陽の関係にあると述べましたが、
同じ意味で表と裏の関係にあるといいます。
例えば、肝胆を例に挙げると、
臓である肝は陰であり裏
腑である胆は陽であり表
という具合で、
肝胆はともに同じ五行の「木」に属します。
五行では同じ「木」ではありますが、陰と陽の別がありますので、肝は乙(きのと)、胆は甲(きのえ)とも表し、乙木といえば肝のことであり、甲木といえば胆のことです。
「きのえ」「きのと」の「え」と「と」は、「兄」と「弟」。つまり「え」は陽。「と」は陰です。木の陽と、木の陰という意味です。
これら、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を十干といいます。
もう一つ、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥はお馴染みの十二支です。これらも臓腑の配当が決まっています。
ところで、
臓に「心包(しんぽう)」
腑に「三焦(さんしょう)」とありますが、
あまり聴き慣れない臓腑です。
東洋医学独自の臓腑となります。
ここではこういうものもあるのだ、
というくらいにみておいてください。
これで全部で六臓六腑となり、合わせて十二となります。
人体の気の通り道である経絡も十二本あり、また十二支とも結びついて天地自然の運行と人がつながり、診察や治療にも応用しやすくなります。
さて、これで臓腑の陰陽と五行配当が決まりました。まず臓だけでいえば、
木が肝
火が心
土が脾
金が肺
水が腎
という具合です。
なぜこのように配当されるのか考えてみましょう。
前回のブログ「陰陽五行説」の中でも、木・火・土・金・水とは、自然の生まれ・長じ、変化・衰え・死というエネルギーの循環を象徴したものであると述べました。
陰陽五行説 - 京都東山三条 白澤堂ブログ〜東洋の医学と哲学
一日においては、朝は木、昼は火、午後は土、夕方は金、夜は水。
一年においては、春は木、夏は火、長夏は土、秋は金、冬は水です。
まずは一日における臓の働きの流れをみていきましょう。
朝起きて活動を始めるためにまず働かせないといけないのは、寝て休ませていた筋肉を動かして、全身に血をまわさなければなりません。筋肉を適度に働かすことで、ポンプのように血流を全身へと送り届ける準備をします。このような関節を動かすための筋(腱や靭帯や筋膜)を司るのが肝です。朝の木の気を発現するのは肝の役目ということです。
そこから昼に近づくにつれ、ようやく心臓が旺盛に働いて十分な血液を内臓の方へとまわす余力が生まれます。心臓の絶え間ない運動と血液を送り出し全身を温める熱量は火に属します。心は血脈を司り、昼の火の気に該当します。
血流が消化器にも充分行き渡った午後には、消化活動である脾の働きが旺盛となります。消化し栄養を吸収して全身へと運化するには、火である心の助けを借りなければなりません。脾は消化吸収を担い、肌肉が豊かになり生命活動の土台をつくります。そのため脾は午後の土の気に配当されます。
夕方になると、大気中の二酸化炭素量が増え、酸素が減ってきます。気温も変化するのでそれに対して防御しなければなりません。そのため、呼吸機能を促進すると同時に、皮膚のきめ(腠理そうり)を引き締め、あるいは緩めて気温変化に対応します。肺は呼吸と皮毛を司るので、夕方に旺盛となるので金に属します。また、日中に動いて熱をもった頭や筋肉をクールダウンさせるのも肺の働きです。呼吸は、ガス交換だけでなく放熱の意味があるからです。
夜は身体の掃除をする時間です。一日にため込んだ老廃物を休んでいる間に腎で濾さないといけないので腎の働きは強くならないといけません。日中は動いている振動で勝手に濾過されますが、夜は動かないので腎が働く必要があるのです。また、寝ている間は骨に圧力が加わらないので、骨髄で赤血球・リンパ球などの血と免疫細胞を造ります。夜は泌尿器や骨といった水と関わる時間なので、腎が水に属します。
※骨髄では、圧力が加わった時に白血球のうちの顆粒球・単球がつくられ、圧力が加わらない状態では赤血球と白血球のうちのリンパ球がつくられます。マラソン選手の高地トレーニングは、低気圧という圧力低下を利用して赤血球濃度を高める意味もあります。
次は一年における臓の働きをみてみましょう。
春は未だ大地は冷たく天は暖かくなりはじめる季節で、その温度差で風が生じます。風気が上昇して舞い上がるので、肝の昇発の気が春に相当し、五行の木に属します。肝がしっかりと気血をスムーズに全身に送り届ける「疎泄作用(そせつさよう)」によって四肢関節の筋を滋養しなければ、筋が拘急してめまいやひきつりを起こします。
夏は気温が最高で、万物が繁茂する季節。この時期人間も活動的となり、全身の毛細血管を開いて盛んに汗を出し放熱しなければなりません。植物においても地中から水分を吸い上げ葉から盛んに水分を蒸散し、自然界における水や熱の循環も最大となります。この推し進める「推動作用(すいどう作用)」によって、全身に血液を送り届け、エネルギー循環の最も激しいこの季節に対処します。その中心を担うのは心です。よって、心は夏の火気に属します。
長夏とは、日本では夏の前の梅雨にあたりますが、中国では夏が終わったあとのじめじめした季節のことを指します。この時期、食欲が落ちます。そのため消化吸収を担う脾は湿を嫌うといいます。なぜなら、脾は運化作用といって、湿度の高いこの時期に体内に溜まった水液を運搬することに力を注ぐため、消化吸収に充てるエネルギーを削がれるからです。身体に湿が溜まることで水液や血流が停滞しやすくなるのを処理するのが脾ですが、本来の働きを阻害されてしまうことを嫌います。水液を代謝しつつ消化吸収により栄養を蓄える働きが脾に求められます。これは肥沃な土に相当し、植物でいえば果実を実らせ水と糖度をたっぷり含んだ状態を指します。そのため脾は土に属すのです。
秋は乾燥とともに寒くなってくる時期です。また万物が栄養を蓄えた状態から冬を越そうとする準備期間となります。肺は乾燥と寒さに弱く、弱っているとすぐ風邪をひいてしまいます。この時期に肺が弱る原因となるのは、夏の湿気や水の摂り過ぎにより余分な水分が体内に貯留している場合です。冬に向けて取り込んだ栄養と水分を濃縮させていく時期が秋であり、余分な水液が多ければ、水分を代謝して濃縮を担う肺にも負担がかかるために弱るのです。水液を濃縮し冬に旺する腎へと気を下降させる作用を「粛降作用(しゅくこうさよう)」といい、金気の収斂の作用に相当するため、肺は金に属します。
冬は極寒の外気から身を守るため、万物は土に潜り、冬眠し、人においては他の臓の働きを内に収めて代わりに腎が働くことで、身体の芯部に気を集めて漏らさないようにします。このような腎の「納気作用(のうきさよう)」や「封蔵作用(ふうぞうさよう)」により気や精が漏れ出ないよう蓄えておく働きが大切となります。水が様々なものを溶かして中に取り込み蓄える性質と似ているので、腎は水に属します。
以上のような説明で、五臓と五行の関係性が少し理屈として腑におちることと思います。
次に、臓はいいとして、腑の方はどうなるのか?
肝と胆、腎と膀胱、脾と胃(消化器系)などはなんとなく関係しているのが分かることと思います。
一方で心と小腸、肺と大腸が表と裏のペアであることは理解に苦しみます。
少し苦しいですが、小腸には「絨毛」と呼ばれる微細なヒダがあり、ここに毛細血管が広く分布しています。腑の中で血脈の多い小腸と、血脈を司る心が結びついたのでしょうか。
肺と大腸に関しては、どちらも水分と関わり、また熱を捨てる働きがあります。呼吸や汗孔を開いて水分の発散や宣布を行う肺に対し、大腸は便に水分を捨てたり便から水分を吸収して調節します。また、呼吸は空冷の意味もあり、風邪がこじれて皮膚や呼吸で排熱できない場合には、お腹を下すことで排熱します。腸は免疫機構の大半を占めており、このことからも剛の性質をもち防衛する金の働きが伺えます。
3.臓腑と月の話
陰陽五行とは異なりますが、私の師から教わった臓腑と月の話をご紹介したいと思います。
肝・心・脾・肺・腎
胆・小腸・胃・大腸・膀胱
五臓と五腑のこれらの字に注目してください。
何かに気がつきませんか?
(ヒント)月という字に着目してみましょう。
答えは、
心の字以外の臓腑には、月(にくづき)があるということです。
この月はなんなのでしょう?
なぜ臓腑には月がついているのでしょうか。
この謎について、
師である傅嵩青老師から教わったことは、
夏至の日、朝の三時。
地平に太陽が昇ろうとする少し前くらいの時間。
月の周りに3つの星が昇り、
ちょうど「心」の字にみえる日があるのです。
ちょうどこのような感じです。
つまり、月(にくづき)は心を表しているということです。
だから、心の字には、月は必要ないのですね。
心は他の臓腑よりも尊い君主であり、最も位の高く、高度で主導的な精神の働きを統べるのです。
胸中を語る、胸がうたれる、胸に響く、胸がしめつけられる思いとかいうではありませんか。
本当の奥深くにあるこころというものは、五臓のうちの心にあるのかもしれません。それをあれこれと脚色するのが頭といったところでしょうか。
誠の心という意味で、「赤心(せきしん)」という言葉があります。心の色は赤です。同時に赤子の無垢な心をも意味しています。偽りなき純真さは心に宿るということだと思います。
さて、月が他の臓腑すべてにあるということは、臓腑のすべてに心(こころ)が入っているということですね。
抽象的な表現になりますが、内臓はこころのエネルギーを借りて、働いているともとれます。
たしかに、病は気(こころ)からといいます。
東洋医学においても、臓腑は七情という感情によって病むと考えられています。感情が乱れると、ダイレクトに臓腑を傷めてしまいます。現代でいえば、ストレスみたいなものでしょうか。
通常であれば、外からきた邪というものは先に経気(経絡を通る気)を損ねるため、直接臓腑へと侵入することはありません。しかし、七情は臓腑そのものを傷める原因となりえます。
逆に、感情の蔵(くら)である臓腑が別の原因で病むことで、精神がおかしくなることがあります。そのため、精神の失調をきたしたものは、臓腑が直接病んでいるのではないかという判断材料にもなるわけです。
東洋医学では、心の平静というものを大事にするということが伺えるお話でした。
4.蔵象学説
冒頭で、現代医学の内臓観と東洋医学のそれとは異なることを述べました。
現代医学の内臓観は内臓自体の形態や機能を扱います。
他方、東洋医学の内臓観は、“蔵象(ぞうしょう)”といって、解剖的な面もありますが、内臓がエネルギーを閉じ込めていて、その気が体表などの外部へと発現し生理・病理的な影響を与えるという考えです。
“蔵象”とは、独特の用語で聞き慣れませんが、この言葉が初めてでてきたのは、《黄帝内経・素問》です。
帝曰.蔵象何如.
《素問・六節蔵象論》
蔵象とは何なのか?
象 形象也.蔵居于内,象見于外,故曰蔵象.
《類経・蔵象類》
蔵というのは、臓腑の実体であり内に在り、
象とは蔵が外へ発現したもの
ということになります。
言い換えると、
人体内部に位置する個々の内臓は、体表などの外部に生理的・病理的な機能として反映される
ということです。
人の身体の根本は内臓にあると言っているのですね。
具体的には、
心の臓を例にしてみましょう。
心臓は普通、血液を全身に送り届けるポンプです。これは東洋医学でも同じで、心は血脈をつかさどると表現しています。
そして、中医学でいう心臓はポンプ以外の外に現れる働きがあるというのです。
心は神というエネルギーを蔵して、神明これより出づ。つまり、神とは精神・思惟活動の根源であり、心臓の働きであるとしています。
また、例えば顔においては、心気の発現する場所は、舌です。舌には血脈が豊富で赤色でよく動くという点で心臓と性質が似ており、舌は心臓を象っているといえます。
汗は心の液といい、緊張すると心臓がバクバクして冷や汗がでます。体液の中でも汗は心が司ります。
このような感じで、心臓が体表の生理や病理と関わっているよ、というのが蔵象学説です。なんとなく、現代医学的な感覚でもわかる気がしますよね。
蔵象学、いわゆる中医学の生理学は、実際の治療にあたる上で「弁証」といって、患者さんの状態を把握するための基礎として重要です。
詳しくは書籍としてもまとめられておりますし、インターネットで検索しても分かりやすくまとめたサイトが多いので、ここでは全部は書きません。
臓は蔵する。
エネルギーや感情の蔵(くら)です。
大元締めだと思ってください。
臓腑から発したエネルギーが全身にくまなく循環して、五官(目や耳や鼻)や四肢が問題なく働けます。
臓腑と末梢をつなぐルートが経絡です。
物資であるエネルギーを運ぶ流通路と思ってください。
そして経絡を流れる気のことを「経気」と呼びます。
古典に触れる際には、臓腑そのものと経気は常に区別して考えるべきでありますが、実際にはその区別が難しかったり両方を指している場合もあります。
臨床上は臓腑の病、経気の病と便宜上分けてみる場合もありますし、一身一元の気として全体を意識しておく必要もあります。このように、東洋医学では内臓といっても色々な視野で観ていくことができればベストだと思います。
今回はここでおしまい、
次回はもう少し臓腑のことに触れていきましょう。お読みいただきありがとうございました。
東洋古典医学を現代に活かす
脈診専門鍼灸院 白澤堂HAKUTAKUDOU
陰陽五行説
こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回ご紹介しますのは、これまで述べてきました陰陽論と五行説が統合した「陰陽五行説」について。
陰陽論と五行説はもともとは無関係に発展し、異なる起源をもつ思想であったことを述べてきました。この2系統の思想が結びつき、五行それぞれに陰陽の概念が合わさり、より豊かに世界を説明することができるようになったのです。
1.陰陽論と五行説の統合
陰陽論と五行説は独立した思想であると述べましたが、その性質はよく馴染み、急に統合したというよりは徐々に交わりあいながら互いを補完していったのではないかと思います。
両者とも自然のサイクルを観察することによって生まれた思想であるからでしょう。木で生じ、火で旺し、土で化し、金で収め、水で蔵するという生・長・化・収・蔵(せい・ちょう・か・しゅう・ぞう)という自然の流れは、万物の成長と衰退を司る陽と陰の循環と同じことです。
最初に陰陽と五行を結びつけたのは紀元前三世紀前半、中国戦国時代・斉の国の鄒衍(すうえん)という陰陽家だと云われています。燕の国に赴いた鄒衍は燕の昭王に師となるよう頼まれ、そこで陰陽主運説を作ります。著作は失われてしまったので、内容は他の文献から推測するしかないようですが、
彼は陰陽主運説の中で木・火を陽、金・水を陰に配当しています。これが陰陽五行説の萌芽であると云われています。五行は同格ではなく、土は中央に位置し、他の四行よりも格が高いとする「土王説」はここから発展したと考えられています。《黄帝内経素問・太陰陽明論》にも脾土が中央に位置し他の四臓に長じるとの記述があります。
他にも、鄒衍は王朝の移り変わりを五行の相克によって説明したこともよく取り上げられています。土木金火水の五徳(五つのエネルギー)の移り変わりによって古い王朝が敗れ新しい王朝の時代が来るという説です。中国の始まりはやはり土徳の黄帝から始まり、木徳の夏王朝→金徳の殷王朝→火徳の周王朝→水徳の秦(秦からは皇帝になります)という具合です。秦はこの考えを採用し、五徳が一巡した最後の秦こそが未来永劫続くと考えていたとのことです。
陰陽と五行の統合が広く一般化されはじめたのは、戦国時代末の呂不韋が『呂氏春秋』の中で、干支のうちの十干(殷代からの暦の記日法)に陰陽論と五行説を結びつけて論じたあたりからです。
その後、《黄帝内経》で五臓と六腑の病因病理や運気論にも陰陽五行説が用いられ、《難経》では脈診における陰陽と五邪の区別が論じられるなど、現代中医学の基礎が陰陽五行説の導入により築き上げられてきました。
2.十干
十干(じっかん)については、別の機会に詳しくご紹介しますが、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん、じん、き)という字で、十二支とともに年月日を表す記号のようなものです。
十干十二支は東洋医学の実際の臨床においても相当有用な概念で応用性が高いものですし、陰陽五行説においても極めて重要な位置を占めます。十干十二支の干と支をとって、干支:「かんし」とも読みますが「えと」と読むのが一般的でしょう。
しかし、本来「えと」というのは十干の方に対して用いる言葉でした。というのも、例えば十干の甲は「きのえ」、乙は「きのと」と訓読みし、それぞれ「木の兄」と「木の弟」という意味です。兄は陽であり「え」と読み、弟は陰であり「と」と読むのです。「兄弟」あわせて「えと」と読みます。要するにこれは十干の総称なのですね。
十干すべてを訓読みで書きますと、
甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)となり、
甲:木の(兄)陽
乙:木の(弟)陰
丙:火の(兄)陽
丁:火の(弟)陰
戊:土の(兄)陽
己:土の(弟)陰
庚:金の(兄)陽
辛:金の(弟)陰
壬:水の(兄)陽
癸:水の(弟)陰
各五行に陰と陽の別ができて、五行と陰陽がドッキングしています。ここに人体の臓腑が割り当てられたり、暦と関連づけられたり、方角や時期に意味付けたりと、現実へ応用する可能性の幅が広がりました。
お馴染みの子・丑・寅・卯…の十二支にも五行の陰陽が当てはめられましたが、こちらは五行の五つに対して十二個ありますから、十干の方が五行の陰陽でうまく収まったのに比べ、十二支に五行の陰陽を当てはめるのには、少し工夫が必要となりました。
十二支と五行の内容についても、今後ご紹介していきます。
いずれにせよ、十干と十二支合わせて、六十干支にて暦を表記していました。
通常十干と十二支をそのまま合わせると10×12で、120通り。
ぜんぶで120干支になるはずなのですが、
陽干の時には陰支、陰干の時には陽支が配当されて、陰陽がひっつくようになっており、陽同士と陰同士はありえないということになっています。
そのため、半数の60干支で上手く暦を表すことができています。一回りが120年先となると、大変ですよね。おかげで60年のスパンで回るので、還暦を迎えることもできます(世界最長齢の120歳の方なら、二周していることになりますね^^;)
3.四方と四季と陰陽五行
十干十二支も陰陽も五行も、生まれ、栄え、衰え、死ぬという自然界普遍の循環に則った哲学です。
故に空間と時間においても、地球が太陽の周りを自転しながら公転することで、一年を通じ、また一日においても、四季や方位に永遠普遍の循環する影響を反映します。
四季や方位をはじめ、陰陽五行説は万物の変化のプロセス、発生と展開の法則、自然と動植物の感応、万象の説明に至るまで、幅広く一つの理によって理解しようとするところが、非常に演繹的であると感じました。
この演繹的手法は、現代の自然科学が見直さなければならない部分といえるでしょう。
先の十干は五行にそれぞれ陰陽の別をつけたものですが、陰陽主運説にはじまる木・火を陽、金・水を陰とする見かたもあります。
朝日が昇り始める東の方角と、温暖になり始め万物が芽吹く春を、障害があろうと伸び伸びと曲がりくねりながらも成長する樹木で象徴し、
真昼に太陽が高くあがる南の方角と、一年において最も暑くなる夏を、燃え盛り上へと昇る火で象徴したことから、
木・火は合わせて陽となります。
夕方に日が沈みはじめる西の方角と、気温が冷涼で万物が収まり静まる秋を、冷たく堅く沈みこむ金で象徴し、
夜に日が隠れる北の方角と、寒冷で万物が閉じこもる冬を、冷たいながらも生命を育む水で象徴したことから、
金・水は合わせて陰となります。
木・火・金・水は陰陽の循環と同じように巡り、土が変化の基盤となり各フェイズに移行する緩衝材のような役割も果たします。
陰陽と五行が結びつき、自然の中に潜む「生まれ、長じ、変化し、収まり、閉じる」というサイクルが繰り返されるという性質を、世の諸々の事象にまで拡張して応用する哲学となりました。
なるほど、そのように考えてみれば、あながち迷信ではないような気もしてきます。
多様に変化する世の中にも、変化しない性質(=〈構造〉)が潜んでいて、そこに着目すれば万物は終わりなき陰と陽の螺旋にすぎない。
そして、世界を陰陽五行の見かた、ものさしでみれば、確かにそうなっている。
自然の規律に敬意を払い、一体となってよりよい世の中とするために、現代になっても色褪せることなく文化風習の中に溶け込んでいるのが、陰陽五行説という哲学です。
五行の相生と相克
みなさま、こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
前回は五行のそもそもの成り立ちと意味についてご紹介しました。
今回は五行間の関係性とその応用について記述します。
五行とは、木・火・土・金・水のことでした。
これら五要素は独立して循環しているわけではなく、相互に影響を及ぼしあってパワーバランスを保とうとしています。
五行間の主な相互作用としては、
助ける関係である「相生」と、
制約・抑制する関係である「相克」があります。
順にご紹介していきましょう。
1.相生
「相生(そうせい・そうじょう)」とは、相生じる働き。
木は火を生じる(木生火:もくしょうか)
火は土を生じる(火生土:かしょうど)
土は金を生じる(土生金:どしょうきん)
金は水を生じる(金生水:きんしょうすい)
水生木を生じる(水生木:すいしょうもく)
木→火→土→金→水(もっかどごんすい)の順で生じて循環します。
(もともとの五行の各行が出来上がる順番は、これとは異なります。生数と成数の説明の際にご紹介いたします。)
「生じる」というのは、助けるという意味でもあり、例えば、木の力を借りて火の力が強くなります。
生じる=生むということで、己(おのれ)を生む方を「母」、己が生む方を「子」と言ったりします。
ですので、例えば火の視点から言えば、木は火(己おのれ)を生みますので、火からみて木は「母」といえます。また、火(己)からみて土は「子」ということになり、議論する視点が大事になってきます。
五行が順に生じていくイメージとしては、上記の図をみていただくと理解しやすいのですが、
①木と木を摩擦することで火が生まれる(木生火)
②物を燃やすと灰となり、土が生まれる(火生土)
③土中から鉱物や金属が採取できる(土生金)
④金属の表面に空気中の水分が冷やされ水滴がつく、または鉱脈の近くに水脈があったりする(金生水)
⑤水をやると木が育つ(水生木)
相手をどんどん助けていくので、相生はプラスの働きともいえるでしょう。
2.相克
相克(相剋そうこく;相勝そうしょう)とは抑制する働き。
木は土を剋する(木剋土:もくこくど)
土は水を剋する(土剋水:どこくすい)
水は火を剋する(水剋火:すいこくか)
火は金を剋する(火剋金:かこくきん)
金は木を剋する(金剋木:きんこくもく)
木・土・水・火・金の順で抑制し循環します。
抑制とは、相手のパワーに打ち勝って弱めるということで、例えば木は土のエネルギーを弱めます。
五行が順に剋してゆく様は、上の図をみていただきながら、
①木が土から栄養分を吸収する(木剋土)
②土は水の流れを塞き止める(土剋水)
③水は火を消す(水剋火)
④火は硬い金属を溶かす(火剋金)
⑤金属は木を伐採する(金剋木)
とイメージすればわかりやすいです。
相剋は相手を弱める作用なので、どちらかといえばマイナスの働きといえます。
相生と相剋は自然が絶えず循環しながら動的なバランスを保つためのシステムです。相生はプラスの働きであり相剋はマイナスの働きであると表現しました。
相生だけでは互いを際限なく強くしてしまい破綻してしまいます。必ずマイナスの力で相殺しなければ、自然界のパワーバランスを保つことはできないでしょう。
互いをうまく助けあい、なだめながら良いところに収まろうとする自然がもつ自発的秩序形成(自己組織化)の原理が五行思想に反映されています。
そして、相生と相克もキッパリと別ものとして分かれるのではなく、陰と陽のように互いを抱き合って一つの根をもつものです。
相克の中に相生の要素があり、
相生の中に相克の要素があります。
どういうことかというと、土は木の根により支えられて土砂崩れを起こさず形を保つことができ、水は土により河川の流路を作ってもらい流れやすくなり、火は水によって抑えられるために燃やし尽くさずに済み、鉱物はマグマのような火に溶かされることによって移動・循環することができ、木は秋の金気によって葉を落としエネルギーを蓄えて冬を越せるというように、相克の中に「生」の働きがあるといえます。
木は火を生じ続ければ衰え、火も灰を生みつづければやがては燃え尽きる。このように、相生の中にも相克の一面がみてとれます。
なかなか奥が深いと思いませんか?
3.相乗と相侮
相生と相克をもって五行のパワーバランスが保たれるのですが、こうした秩序が崩壊する異常な場合において、相乗(そうじょう)と相侮(そうぶ)という状況がみられます。
相乗とは、相手に乗じる。凌駕するということです。五行中の一行がなんらかの原因で強くなりすぎたり(太過といいます)、または弱くなりすぎたり(不及といいます)した場合に、制約する力が強く働き過ぎて相手を余計に弱らせてしまい全体のバランスが崩れる関係性をいいます。
例えば、木が異常に強くなりすぎた場合には養分を吸い上げすぎて土がますます弱ってしまいますし、土がもともと枯れている場合には木がますます養分を欲して一気に吸い上げてしまいます。これを木乗土と表現します。
相侮とは、相手から侮られる。相手が油断した結果、本来勝てない相手に勝ってしまう関係をいいます。
例えば、水は本来火を消すものでありますが、火の手がまわって大火災になってしまうと水の力でも消火できなくなりますし、逆に水が少なすぎても火を消すことは叶いません。これを火侮水と表現します。
5.補と瀉(相生相克の応用)
五行のバランスに異常をきたした際、人為的にそのバランスを取り戻す施策として、補と瀉という方法を採ります。
実際には虚と実という概念があってはじめて補と瀉が出てくるのですが、後にご説明することとして、ここでは割愛します。
例えば、先述の相乗・相侮の異常な状況に陥り、五行のパワーバランスが乱れてしまった場合に、極度に弱ってしまったエネルギーを補ってバランスを取り戻したいとします。
その場合、「母が子を生じる」という五行の相生の関係を利用して、弱ってしまった子のパワーを強化するという方法があります。
母の栄養を補えば、子への栄養も十分にいきわたる。もしくは、母の財産が潤えば子もすくすく育つと考えればよいでしょう。子供のパワーを直接補うよりは、まず土台となる母のエネルギーを補って子育ての余裕を与えることによって子が肥えるという相生の考え方の、その場しのぎではない深い意味があると思います。
例えば、水を補えば木はすくすく育つというような具合に。
斯様にして、弱ってしまった木を助けたい場合には、木そのものを補うよりは水を補うことで木そのものの成長発育に大きな影響をもたらすということです。
ここに、世界の要素が別個ではなく互いに関わりあって均衡を保っているという真理が反映されているのだと思います。
根本の原因は別の箇所にある場合が多いということも示唆しているわけですね。
先程は「補:ほ(補う)」の説明でした。
瀉(しゃ)というのは「水などが勢いよく流れる」の意で、有り余ったエネルギーを捨て去るの意味です。
これも五行のパワーバランスのうち、強くなりすぎた一行に対して瀉すことにより、その有り余ったパワーを取り除いたり、他の部位へ流したり(他の部位へエネルギーを移す場合は「冩」と区別している流派もあります」)して、バランスを取り戻す技法です。
瀉法の場合も、強すぎる(大過)一行そのもののエネルギーを捨て去るよりは、その子供のエネルギーを奪ってしまうほうが効果が大きいのです。
子が飢えれば母は無理をしてでも与えようとする母性本能を利用した汚い手であるといえばそうかもしれませんが、汚い手ほど効果的面ということです。
例えば、水が多すぎた時に、その子である木のエネルギーを奪って成長を止めることで、母である水は自分のエネルギーを木に与えようとするため、結果的に水を弱らせ均衡を取り戻すことができます。
もちろん、柔軟に考えて、
木が成長しすぎてしまった場合に、その母である水を断つことで木の成長を止めてしまうという手もあります。しかし、母である水を瀉すことにより子である木のエネルギーを弱らせることも可能ではありますが、その場合には水を弱わらせることにより火を剋することができなくなり、火が強くなって金が弱くなり、金が木を剋せなくなって木が結果的に強くなるという五行の流れ的にはあまり効果的ではないわけです。
過剰な木を弱らせたい場合には、その子である火のエネルギーを瀉せば、今度は金気が火の抑制から解放されて木を剋してくれるので、正常の五行バランスに戻ります。
まとめますと、
①弱った行を補いたい場合は
その母を補うことで子が強くなる。
例えば、子である木を補いたければ、その母である水を補う。
②余りある行を瀉したい場合は
その子を瀉すことで母が弱くなる。
例えば、母である水の有余を取り去りたければ、その子である木を瀉すことで、水の大過を抑えられる。
この補と瀉という二つの方策をもって、五行の乱れた均衡を取り戻すのです。
実際に補と瀉をどのようにするのかということに関しては、鍼灸であれば手技、漢方であれば方剤を使い分けることによってコントロールします。
そのためにはまず、五行のパワーバランスの乱れを正確に知る必要がありますし、陰陽の偏りも知る必要があります。
そのために、中医学にはそれらのバランスの乱れを知るための複数の診察法がありますので、追々具体的な方法もご紹介していくつもりです。
以上、
五行の相生・相克
五行の相乗・相侮(五行バランスの乱れ)
と、
その応用(補と瀉)
についてご紹介させていただきました。
五行の成り立ちとその意味
みなさま、こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は五行思想についてです。
五行は陰陽についで、比較的ポピュラーなのではないでしょうか。五行の考えは、日本の風習だけではなく、茶道や相撲など日本文化の中にも溶け込んでいるからです。
五行(ごぎょう)とは、世界を木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)の五つの性質に分けて説明する概念です。古典鍼灸では、陰陽と合わせて、五行の概念が非常に重要となります。
後々、ご紹介していきますね。
1.五行の成り立ち
「五行説」は、誰かが突然打ち出した思想ではなく、古代中国の文化や風習の中から徐々に培われていったものです。それ故に、どのように成り立ったかは定かではありませんが、いくつかの推論がなされています。
春秋・戦国時代に遡る非常に古い文献である《尚書》の「洪範」に記されている政治学は五行説がもとになっており、これが五行についての最も古い記載であるかと思われます。
五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土爰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。
(五行。一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水はここに潤下し、火はここに炎上し、木はここに曲直し、金はここに従革し、土はここに稼穡する。潤下は鹹をなし、炎上は苦をなし、曲直は酸をなし、従革は辛をなし、稼穡は甘をなす)
洪範は大いなる規範、つまり、天下統一の大法を、中国最初の王朝といわれている伝説上の王朝・夏の開祖である禹が天帝から与えられたものであると云われています。その重要なものの中に五行があるわけです。
しかし、「洪範」篇自体の成立は戦国期に儒教の立場からまとめられたものであるといわれています。
さらに、この五行(木・火・土・金・水)という概念の前段階として、民衆が生活する中での5種類の必需品である「五材」というものから五行へと発展したものであるとする考えがあります。
《左伝・襄公二十八年(紀元前546年)》に、
天生五材、民並用之、廃一不可。
(天は五材を生じ、民はこれらを用いて、一つとして欠かすことはできない。)
とあります。五材とはなんでしょうか。
杜預《注》によれば、五材とは、
金、木、水、火、土也。
とあります。五行そのままの要素です。
伏勝の記した《尚書大傳・周傳・洪範》には、
水火者、百姓之所飲食也。金木者、百姓之所興作也。土者、萬物之所資生也。是為人用。
とあり、五行を民の生活必需品としての五材であると規定しています。
意訳すれば、
水と火は百姓(一般庶民のこと)が料理を作って飲食するのに必要なものであり、金と木は庶民が労働や建築で必要とする資材であり、土は万物が生じるのを助けるものであるから、これらは人々が生活するのに欠かせない基本物質である。
これらは、自然がもたらす最も基本的な資材であり、五材を様々に組み合わせ加工することで生活の多様な事が成り立つという意味で、元素としての意味合いが含まれています。ここから、世界を構成する、なくてはならない基本的な要素としての意味を持つようになり、五材という具体物(元素)から、それらがもつ性質を抽出し、五行という抽象的な概念へと発展したとも考えられています。
では、五行の「行」とは何でしょうか。
《白虎通義・五行》によると、
言行者、欲言為天行氣之義也。
とあります。
「行」の字は、大自然中の気の運動や運行方式について述べたいときに用いる、と書いています。
さらに、《春秋繁露》でよりはっきりと述べられています。
天地之氣、合ニ為一、分為陰陽、判為四時、列為五行
天地の気は合わせれば一つであるが、陰陽に分けて見てみると四季があり、四季に分けて見てみれば五行がある。つまり、五行も元々は天地を合わせた一つの気の運行方式であり、天地間の四季の運動変化を担うものであることがわかります。
まとめると、「行」の字は運行や運動を表し「五行」とは、五種類の気の運行方式であるということです。「行」の字は、「めぐる」という意味であると思ってよいかと思います。
2.五行の本質
五行とは、五種類の気の運行方式であるということでした(具体物としての五元素という意味も内包します)。
気は絶えず循環して動く一つのものですが、その運行の様態を五つの相に分けて分類し、それぞれの性質の違いを木・火・土・金・水で象徴したものが、五行です。以下で、順に説明していきます。
気の運動の仕方(流れ方)を気機(きき)といい、昇・降・出・入の四つがあります。これは、気が上に昇ったり、降りたり、内に入ったり、外にでたりする上下内外の運動を表しています。
当ブログ内で、これまで春夏秋冬という四季の養生をご紹介してきましたが、その中で四季の気の特徴は①春は発陳、②夏は蕃秀、③秋は収斂、④冬は閉蔵であるとご紹介しました。
それぞれ、
①陽気が芽生えて万物が伸びやかに育つ
②陽気が最大となり万物が開花する
③陽気が衰退し冷涼の陰気が伸びはじめる
④陰気が最大となり陽気は奥深く身を潜める
という陰陽の気の移り変わりに四つのステージ(四季)があることが分かります。
先程の気機(昇降出入)の話とリンクさせると、①と②のステージは昇と出。③と④のステージは降と入という方向への気の流れといえるでしょう。
つまり、
①春は内に閉じこもっていた陽気が陰寒の気をおしのけて地中から外へと現れ上昇・成長する季節
②夏は気が上へも外へも最大に広がり、万物が咲き誇り成熟する季節
③秋は陽気が衰退しはじめ、夏に養分と水分を蓄え結実した実の重みで垂れ下がり、登りきったところから降りていこうとする季節
④陰気が長じて、内に追いやられた陽気は種子の核に集約し、地中で冬を越す季節
という陰陽の気の消長と循環が季節の移り変わりで観察できるわけです。
この循環を生・長・収・蔵といい、
動植物においては生まれ、成長し、老いて、死ぬ。
1日の流れにおいては、朝、昼、夕、晩がある。
水の循環においては蒸発して昇り、雲から雨が降り海や川へ戻る。
事業や国においても、起業と建国、興り栄え、衰退し、次の世代へ。
というように、自然界万物の普遍のサイクルです。
こうした一連の事物の移り変わりを、気の動きとして捉え、生・長・収・蔵や昇・降・出・入の各段階を木・火・土・金・水という五元素(五材)の性質によって象徴し表したものが、五行です。
冒頭でご紹介した《尚書・洪範篇》に、水は潤下、火は炎上、木は曲直、金は従革、土は稼穡とありましたが、これらが五行のもつ性質です。
水行は潤下。老子の「上善水の如し、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る」という言葉どおり、万物を潤和し恵みを与え、その上で自分は最も低いところに落ち着こうとする性質。
火行は炎上。火は必ず高いところに上がろうとし、強い権力と富と高い能力、攻撃性を象徴する。物事を盛んに突き動かす熱量・動力という性質。
木行は曲直。樹木のように上へ横へと曲がったり伸びたりしながら外界へと広がり発展していく気の動き。好奇心旺盛な子供のよう。成長や昇発を司る。伸びやか(条達という)でありながら、周囲からの抑圧には抵抗して打ち勝とうとする剛の面を併せ持つ。
金行は従革。変革を意味し、加工すればそれに従い形を変え役に立つ。金属のように重く沈んで下降し(粛降)、芽生え栄えた陽気と生命力を刈り取る粛殺の能力がある。秋になれば葉を落とす作用も金の働きによるもので、切断したり遮断する性質があるため、例えば太陽の光を遮断する雲も金であり、外界と内界を境界する皮膚も金の性質といえる。純度が高く清涼(清潔)で、密で剛性がある(収斂)が液体のようにも変容できる。
土行は稼穡。種をまき、収穫すること。万物を育み次代へうまく引き継ぐ。すなわち、変化の土台となる。他の水・火・木・金という四行の気が移り変わる際、気の運動変化の舞台と調整期間となり、緩衝させ急激な変化とならないよう和する性質。生化や継承、受納を司る。
この五行の性質(イメージといっても良いでしょう)を、先程の①②③④の気の運行過程に当てはめてみると、
①「木」は伸び伸びと躍動する春の陽気の芽生え
②「火」は繁茂し栄華を誇る夏の陽気の極まり
③「金」は葉を落とし糖分を内に蓄え収斂してゆく秋の陰気の発生
④「水」は陽気を深く閉じ込める冬の陰気の極まり
をそれぞれ象徴します。
「土」は他の四行の中央に位置し、また各季節の間に入り込むことで、季節の移り変わりを円滑にします。各季節の前18日間を土用(土旺用事の略)というのはこのためです。土が旺気して事を用する期間という意味で、詳しく述べれば四立(立春・立夏・立秋・立冬)の直前の18日間です。一般的には夏の土用が知られていますね。
また、もともと中国では夏の最も暑い期間の後のジメジメした雨季を長夏といい、一つの季節として扱って、これを「土」とする考えがあります。
木・火・土・金・水の五行の性質が明らかになれば、自然界のいろいろのものごとを五行に当て嵌め、表すことができるようになります。
そして、これは次回に述べますが、万物を五行で分類するだけに留まらず、お互いが影響しあい関係性をもつことにより、現実に広く応用できるところが素晴らしいところです。
3.五行と方角
五行と季節の関係は分かりました。
次に五行と方角の関係について述べたいと思います。
これも、陽気と陰気の運行(移り変わり)を考えれば、自ずと決まります。
太陽は東から登り、南中し、西に沈み、北へと隠れますから、
①陽気の芽生えである東方は「木」
②最も太陽光が集中して強くなる南方は「火」
③太陽が沈みだす西方は「金」
④太陽が隠れる陰気の多い北方は「水」
そして、方角の中央が「土」となります。
中国には「中華思想」というのがあり、
中国(とくに漢民族)が世界の中心であるとする考え方ですが、中華全土を舞台に五行が展開していることを示唆する面白い話があります。
まず、中国には、中心を横断するように流れる河、
黄河があります。豊富な土壌を含んだ河水はいつも黄濁しているのでこう呼ばれます。古代中国文化の発祥地であり、黄河は中華民族のゆりかごの地でありました。ここを中国の中心として、五行で中央は「土」が司るので、土の色は黄河の色。黄色です。
黄色というのは、中国伝統文化において非常に尊重されてきました。黄色が五行の中央に位置することから、最も尊い最上の色として、天子の服の色でした。明・清の時代には、黄色は皇室の色であり、庶民は黄色の服を禁じられていたそうです。紫禁城の屋根瓦は黄色であり、建物についても黄色を使っていいのは皇族のみでした。
このように、黄色は古代より天上の色であるとされ、天は高次元の神々のことであり、皇帝が天から権力を授かって天下を治めることができたのです。
中心を土として、中国の東側には樹木が多く海からの風が吹く環境であったという話があり、東方は木であり、風と関係し、海と樹木の青色です。
南は中国南部の温かい気候から、暑熱と関係し、南方は火、炎上の赤色です。
また、西はゴビ砂漠(実際にはほぼ北にありますが)からの冷たい乾燥した空気がやってきて、ヒマラヤ山脈あたりから金銀などの金属がとれたことから西方は金であり、乾燥と関係し、砂漠の砂の白色です。
北には(おそらく)祁連山脈あたりの水源や水脈があり、寒冷の気候から、北方は水であり、山岳の黒色です。
以上は、信憑性はあまりないですが、五行の方位と色を覚えたり連想するには便利な話だと思います。
4.五色と時空
五行の木火土金水には、それぞれ青赤黄白黒の色が配当されています。
青赤黄白黒とはすなわち、青赤黄の三原色に、全吸収の黒(色の三原色=減算混合)と全反射の白(光の三原色=加算混合)という内実となっています。
中国最古の類語辞典《爾雅(じが)》に、
春為青陽、夏為朱明、秋為白藏、冬為玄英
とあり、
春は青
夏は赤
秋は白
冬は黒
季節を色で表現しているのです。
さらに、方位に関しては四神獣というのがあり、
東方は青龍
南方は朱雀
西方は白虎
北方は玄武
というのは比較的有名であるかと思います。
要するに、目にみえない時間と空間を可視的な色彩で表現し、五行によってつながりをもたせることによって、季節や方位にまつわる様々な事象を分析したり、呪物の配色などによりコントロールして扱うことを可能としたのです。
5.五行と文化
さて、五行の成り立ちと意味をご紹介してきましたが、日本の何気ない風習や文化の中にもその背景に五行思想が根付いています。
例えば、故・吉野裕子(著)『陰陽五行と日本の民俗』には、節分の豆まきの例が紹介されています。
一般的な意味での節分は立春の前日を指しますが、これから春になろうとする時期です。春は陽気の長じる季節であり木気が統率すると述べました。
豆まきは、冬の陰気を祓い春の陽気と木気をたすける儀式であるというのです。
豆は鬼を払うために投げつけます。
用いられる大豆は丸くて硬い穀類であり金気に属し、春の木気を剋す(力を抑えつけてしまう)ものです。春をめでたく迎えるには木気を害う金の気を抑えつける必要があり、豆を火で煎って金気を抑えた上で外に投げ捨てたり家の中に撒いたものは食べてしまうなどして始末することで金気を消すわけです。
また、
鬼は「隠」の字の音が訛ったもので、陰気の象徴であると述べています。
「鬼は外」と唱えながら豆を撒くことで陰気の鬼を退散させ、春の訪れをたすける迎春呪術であると記載されています。
小さい頃からやっていた豆撒きに、このような五行の意味が隠れていたのですね。
文化の中では、例えば茶道。
お茶を淹れるには、
水を用い(水)、
茶葉や柄杓や茶筅を用い(木)、
茶碗を用い(土)、
茶釜や茶器を用い(金)、
火を用い(火)、
五行のすべてが茶道具などに関係しているのが分かります。
その他の例でいえば、相撲。
相撲の吊屋根から垂れる青房・白房・赤房・黒房がそれぞれ東西南北の方位ごとの色に割り当てられ、中央に土俵があり、まさに五行が盛り込まれた空間です。
調べてみると、力士同士が力比べをする時に火の気が生じるので、土俵上に黒色の水引幕が垂らしてあり、水によって火を静める意味があるそうです。
このように、様々な文化の作法や道具の中にも五行思想が隠れています。何気ないものにも元々は意味があったことを知るのも面白いです。
6.まとめ
今回の内容をまとめてみましょう。
五行とは木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)のことであり、五元素の意味だけではなく、5種類の気の運動形式(状態)を象徴したものです。
この運動形式を季節や時間と方位、色に当てはめると、それぞれ以下のようになります。
木:季節は春、時間は朝、方位は東、色は青
火:季節は夏、時間は昼、方位は南、色は赤
土:季節は長夏または土用、方位は中央、色は黄
金:季節は秋、時間は夕、方位は西、色は白
水:季節は冬、時間は夜、方位は北、色は黒
というようになります。
次回は、五行についての基本的な内容をさらにご紹介していきます。
冬至に体調を調え新年に備えましょう
みなさま、こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
北半球では昼が最も短くなる日ですね。
冬至は陰気が最大となり陽気の芽生える時期です。
陰極まって陽に転じるときです。
巡り巡って再び一陽が生じることから、冬至の日を古来より「一陽来復」と称します。
この日を境に、少しずつ太陽の位置が北側へ移動するため日の長さが長くなっていきます。
明けない夜はない、というわけですね。
もともと一陽来復は、易(えき)からきています。
冬至の日は、坤(こん)という6つの陰爻(- -)で表される陰卦の最たるものですが、その次の卦が、先ほどの坤の卦の一番下が1つの陽爻(ー)に変化した復(ふく)という卦になります。
1つの陽爻が陰爻の一番下に芽生えた復という卦なので、「一陽来復」ということです。
復の卦は、地を表す卦の下に、雷(かみなり)を表す卦を組み合わせてできる卦です。
なので、地雷復(ちらいふく)といいます。
寒い大地の奥深くにこれから芽吹こうとしてうごめきはじめた生命の力を表現しています。ゴロゴロゴロ〜ッと振動する起爆的な力が雷のようです。
ですから、物事が転じて、これから躍動してゆく様としても「一陽来復」が使われる所以です。
冬至の日、一陽来復の時期は、十二支で表すと、「子(ね)」の時期です。
十二支の「子」のもともとの意味は、俗に云うねずみではなく、「孶(はらむ)」という字義です。
子を成し、植物でいえば種子が地中で生命力を発現させた段階。人間でいえば胎盤に受精卵が着床した段階です。
これから、陽気が芽生え成長してゆくのですね。
そして、この「子」ですが、内臓でいえば「胆」に相当します。胆とは、胆のうのことです。
胆がこの時期にくるのは、陰と陽の境目であるからです。胆の字にも表れていますが、胆は月と日の字が入っています。月は太陰、日は太陽です。太陰が極まって、一陽が地平線から姿を現すさまです。元旦の旦の字ですね。
古代中国では、冬至がまさに正月でした(唐の正月などと云うみたいです)。
そして、太陰と太陽の間を少陽と云います。少陽は一陽に属しますので、胆は少陽を司ります。ですので、十二経絡の一つ、少陽胆経などと呼ぶわけです。
この胆は、一陽の出現する大切な時期であるというだけでなく、枢軸のように中心を意味しています。身体の中心軸には脳と脊髄という身体の中枢神経があり、自律神経も含めた神経系の調節にも関わっています。胆の経絡上には髄に関係する絶骨というツボがあり、脳や脊髄・造血にかかわるツボであることからも、胆の大切さが伺えます。
また、身体の横軸でもある帯脈とも関係し、身体を縦に走る十二経絡すべてを束ねる重要な働きにもら関わるため、「胆」を最重要視する学派も存在します。
それくらい、冬至の子の時期というのは、転換期であり重要な時期であるということもできるでしょう。ですので、養生の観点からも重視される時期でもあります。
後ほど、冬至の養生をご紹介します。
また、一年における子の時期は冬至でありますが、一日における子の時期、つまり子の刻というのは夜の23時から1時の間のことを云います。
この時間に、本来人間は床について休んでいることが望ましいのです。一陽が生まれるこの時間からが、身体を回復させる黄金時間であり、成長ホルモンが分泌される時間となります。
あるいは、静かに坐功(座禅)をするとよいと云われています。心(神)を鎮めて元の一に還る、元神に還るのが重要です。
夜通しスマホをみたり、飲食をしたり、仕事などで身体を休ませなければ、回復する時間をつくることができずいつかは体調を崩してしまうことになりかねません。
22時30分には寝る準備をし、23 時には寝ておくことをお勧めします。毎日が難しい方は、週に一日か二日だけでも、そのような日を設けると良いでしょう。眠れなくても、眼を閉じて静かに呼吸を落ち着かせる時間をつくることが大切です。
冬至になると、やはり陰寒の冷気と乾燥の気が強まってきますから、冷えと乾燥を防ぎ、腎を養うことが大切になってきます。
食養生としては、乾燥と冷えの影響を抑えるために蜂蜜を摂る、黒ゴマを摂ると良いでしょう。
黒ゴマにはシスチンというタンパク質、ビタミンBおよびEが豊富で、皮脂分泌を増加させ、肌の弾力性を改善し、繊細さを保ちます。黒ゴマに含まれるビタミンEや不飽和脂肪酸は、肌に栄養を与え、黒色は腎気を強めますから、老化を送らせる作用を期待できるでしょう。
小豆粥も身体を温めて腎を強くし、風邪を予防する冬の養生にうってつけの食事です。
もちろん、カロチンやビタミンを多く含むカボチャを冬至に食べたり、柚子湯につかるなどの従来の養生も肌を綺麗に保ち、風邪をひきにくくしますから良い習慣といえるでしょう。
他に、海藻類に含まれるフコイダンには抗インフルエンザウイルス作用があるので、お粥などにして食すことがおすすめです。
冬至の日には、陰陽変化の転換期に身体を壊さないよう、お臍に温灸をするとよいと云われています。当院ではそうした季節に合わせた治療を実施していますので、体調に不安のある方、年末年始に体調を整えておきたい方は、お気軽にご連絡ください。