四時と四行
みなさま、こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、四にまつわるお話です。
四時とは、春・夏・秋・冬。四季のことであり、天に属します。
四方とは、東西南北、方角のことであり、地に属します。
四行とは、あまり聞きなれないかもしれませんが、五行の前段階の思想です。
今回は、この3つについて、述べたいと思います。
1.四時
物事を、陰陽に分けたのち、さらに陰の中にも陰陽、陽の中にも陰陽があるという話を以前の記事でしました(陰陽可分、陰陽の重層性)。
この地球上においても、極点などの常に寒い場所もあれば、亜熱帯で雨季と乾季という二季性の場所もあり、陰陽の移り変わりがもっと細やかに現れる四季のある場所もあります。
これらは地球と太陽の位置関係および地球上の場所によって変化し、春夏秋冬の四季は次の4つの位置関係が移り変わることによって、循環します。
- 地球の北極側が太陽を向く(北半球が夏になり、南半球が冬となる)
- 地球の南極側が太陽を向く(南半球が夏になり、北半球が冬になる)
- 4.地球の自転軸が太陽に垂直(直角になるので、赤道面に太陽がくる)▶︎春と秋
地球の自転軸は傾いているため、太陽の周りを公転する間に、①自転軸が太陽の方に向く時、②太陽と逆向きに傾く時期、③④太陽に対して傾きをもたない時期、これら4つの時期の巡りが四季をもたらします。
この循環を、陰陽で表現すると、一年で一番日が短く南中高度の最も低い冬至を過ぎた時点で、陽気が芽生えはじめ(一陽来復)、春から夏に向けて陽気が長じて最大となり、一年で一番日が長く南中高度の最も高い夏至を過ぎた時点で陰気が芽生え(陰陽転化)、秋から冬にかけて、陽気が衰え陰気が伸びると言えるのです。
上記の図は、易の概念ですが、太極から陰陽が分かれ、さらに分かれて、「陽中の陽」「陽中の陰」「陰中の陽」「陰中の陰」の4つの状況に分かれたところまでを表した図です。
《易経・繋辞上伝》に
とある部分です。
「陽中の陽」を太陽または老陽(「太」と「老」は同義です)、「陽中の陰」を少陰、「陰中の陽」を少陽、「陰中の陰」を太陰または老陰と呼び、これを四象と言います。
四季でいえば、「陽中の陽」である太陽は陽気が最大となる夏にあたります。「陰中の陰」である太陰は陰気が極まる冬です。春は陰気が極まってまだ多く寒さが残る中に、陽気が芽生えて万物が生長してゆく段階であるので、「陰中の陽」である少陽と言えます。秋は陽気が最大となった中で陰気が徐々に伸びて閉蔵の冬へと向かう時期なので、「陽中の陰」である少陰が当てはまります。
並べて書きますと、
「陰中の陽」である春→「陽中の陽」である夏→「陽中の陰」である秋→「陰中の陰」である冬
というように移り変わります。
上図のように表すと、分かりやすいかもしれませんね。要するに、春夏は陽、秋冬は陰なのです。陰陽をさらに分けて、四つのフェイズができたわけですね。
ここまでは、一年間の四季の移り変わり(地球の公転による影響)でした。
同様に、
1日の移り変わりは、東から太陽が昇り、南中し、西に沈んでゆく移り変わりにも当てはまります。これは、地球の自転によってもたらされる変化です。
日中を陽、夜中を陰とし、さらに各々陰陽に分けますと、
朝・昼・夕・晩
のように、1日を四つに分けて考えることもできます。
朝を「陰中の陽」=少陽
昼を「陽中の陽」=太陽
夕を「陽中の陰」=少陰
晩を「陰中の陰」=太陰
という具合です。
2.四方
さらに、方角を考えてみましょう。
春夏秋冬、朝昼夕晩の四時は、時間に関するもので、天(陽)に属します。
方角は東西南北であり、空間に関するもので、地(陰)に属します。
天は動き、地は動かないものと考えられていましたので、「天円地方(てんえんちほう)」といい、天は移ろい、地はどっしり土台としてあるのです。故に、円は陽、方は陰です。
古墳にも「前方後円墳」や、京都の雲龍院や源光庵で観れる「悟りの窓・迷いの窓」などが円と方で陰陽を表現しており、興味深いと思います。
さて、東西南北では、太陽の昇り始めて南中する東と南が陽であり、太陽が沈んでみえなくなる西と北が陰となります。
朝昼は東と南に太陽があり、夕晩は西と北に太陽が沈むので、時間と方角は陰陽の概念で矛盾なく扱えます。これは、結局は太陽の影響力の移り変わりを陰陽で表現しているので、当たり前といえば当たり前の話です。
聖徳太子が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言を隋の皇帝に送ったとする話を思い出しましたが、これもすごく皮肉な表現ですね。「君子南面す」という言葉もあるので、陽気の最も多い南を重視する中国の思想が伺えます。思えば、正しい教えで導くことも「指南」といいますしね。
それはさておき、ここから、中華思想が生まれたり、五行の概念へと発展していくのですが(次回のブログで述べる予定です)、もともとは四つの概念でありました。
3.四行
四行(しぎょう)とは、四つのめぐりのことです。手の指が5本あるから、5の方が区切りもいいし便利そうなので、五行でいいのではないだろうかと思いますが、五行の概念の前には四行の世界観がありました。それこそ、夏王朝の頃の時代だと思われます。五行は比較的新しい概念なのです。
なぜ、四の世界観となったのでしょう?
それはやはり、一元の気によってできた世界を、陰陽という二つの観点に分けて考えたからです。天地のものをさらに陰陽に分けて分節化し、四つの局面で考えました。
まず初めに、宇宙は混沌とした状態である「太極」でありました。当時はこれを「湿」と呼んでいたそうです。
この太極である「湿」に、どこからともなく風(気)が吹き始め、気の作用によって陰陽の区別がつくようになり、現在の世界が始まったと聞き及んでいます。
陰陽、すなわち天地が分かれたということです。天地をさらに二分して、地はさらに地と水、天はさらに火と風に分けて考え、「地・水・火・風」の四行の観念が成立し、当時はこれで政治なり運通なり農業なりをやっていたわけです。
ここに、「空」が加わると、仏教でいうところの「地・水・火・風・空」の五大・五輪となります。ちなみに古代インドやギリシャの四元素説も地水火風ですが、四行と同じではありません。根本は同じですが、各々独自に発展したようです。
地・水・火・風は元素のような世界の構成物質ではなく、うつろう気の状態を四つの相に象徴したものです。
地は、気の固体状態を表わし、大地です。
水は、気の液体状態を表わし、海です。
火と風は、気の気体状態を表わし、空気とも言え、
特に風は、地・水・火を生じさせる原動力であり、気を循環させるエネルギーでもあります。
水と火は、冷性と熱性の象徴でもあります。
天地でいえば、地と水は、地に属し、陰です。
火と風は天に属し、陽です。
四行観を人体に当てはめてみると、
地は、肥沃な土です。
人間でいえば肌肉といって、ふくよかで艶のよい肉にあたります。胃腸が弱って、ここが痩せると、冷えたり疲れやすくなったり、体力が落ちるのですね。
良い肌肉を保つには、栄養されなければなりません。そこで、火の作用。様々なものを燃焼させ気化させエネルギーを取り出し、さらにそれを全身に必要な分だけ分配して送り届ける動力としての動脈が必要になります。
そして、その中を流れて潤すものとして、水があり、動脈血や静脈血やリンパ液などにあたります。これが少なければ、摩擦や軋轢が多くなり動きにくく熱を生んで、抑えれなくなりますし、逆に多ければ浮腫になってしまうわけです。
これら地・水・火の働きを助けて円滑にし、かつ空気のガス交換をする働きが風です。
このようにして、人体が機能すると考えられていました。
上図のように、下から地・水・火・風と並ぶ人体観です。五輪塔に似ていますね。下にいくほど固化し、上にいくほど気化しなければなりません。
下が固まらなければ、脚腰が立たなくなり、二便は漏れてしまい、胃腸が下垂してしまいます。
上は上で、固まってつまってしまったら息が詰まって呼吸が浅くなり、落ち着かず心臓がバクバクして頭痛やめまいが起きてしまいます。
このような身体のバランスといいますか、気の密度の在り様というのは、気功の世界でも重要視されていますし、目や頭ばかり使ってストレスを溜め込み、夜通しスマホをみたりして気が上に上がりっぱなしの現代人にも、当てはまる話ではないでしょうか。
不摂生により地・水・火・風のバランスが乱れると健康を損ないますよ、といっているのも、四行の世界観なのです。
以上、四時と四方と四行についてでした。
鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU | 中国脈診による鍼灸と関節整復により早期回復を目指す治療院