陰陽五行説と臓腑
こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
これまでご紹介してきました、陰陽論と五行説が結びついた「陰陽五行説」および相生・相克による関係性。万物はこの陰陽五行説によって分類できますが、人間の内臓も陰陽五行説で分類します。
さらに、相生・相克などの五行間の関係性を応用して、内臓同士の相互作用をうまく説明することで中医学における生理学が確立しています。
今回は漢方や鍼灸の分野で重要となる陰陽五行説と内臓についてご紹介。
1.内臓と陰陽
中医学における内臓観は、現代医学における内臓とイコールではないのです。現代医学では当然内臓といえば実体そのものを指しますが、中医学では実体およびそれが司る機能までをも含めた意味で扱うことが多いです。
例えば、中医学では「心」といえば心臓実体そのものも指しますし、精神機能のことも含まれています。
また中医学でいう“脾”とは膵臓・十二指腸・小腸のことであり、脾と脾臓は異なります。中医学でいう“脾臓”とは「左側にある肝臓」と考えたりもします。脾といえば、胃腸などの消化・吸収系全般を指すこともあります。さらに、脾気や、脾陽などといったり、脾経ともなると経気の話になるので、どの部分の話をしているかを常に意識しておかないと、話がごっちゃになってしまいます。
現代医学と言葉は似ていて指す内容が違ったりするのもややこしいかと思います。とりあえず、中医学でいう内臓は実体そのものだけを指すのではないと思っていただければと思います。
内臓の話に戻りましょう。
内臓のことを五臓六腑とかいいますね。
臓と腑に分けられます。
あわせて臓腑(ぞうふ)と読みます。
臓の役割は、精・気・血・津液(水)といった基本物質を貯蔵し、代謝も行いながら必要な所に必要な量を分配して生命活動の基礎となるものです。
また、臓の主な働きは「蔵する(貯蔵する)」であり、感情・情志の蔵(くら)でもあります。そのため、精神的な負担が臓のダメージとなることもあれば、臓が病めば感情もおかしくなることがあります。
腑の役割は、摂取した飲食物(水穀「すいこく」といいます)などを消化し、身体に必要なものは吸収し、不要なものは排泄する機能を司ります。
この臓と腑も陰陽に分けられます。
臓腑自体は、体表に比べると陰です。
しかし、
臓と腑の陰陽関係を述べるならば
臓は陰
腑は陽
となります。
以下に理由をご紹介します。
臓は実質性臓器(内部が細胞実質で埋められている)であり、実体として充満しているため陰です。
それに対し、
腑は中腔性・管腔臓器であり内部は中空なので陽です。
また、臓は「蔵する」ということなので、精や情志といったエネルギーを内部に貯蔵し漏らさないことから陰であるといえます。
腑は飲食物(水穀)を消化・吸収・排泄する過程で輸送しなければいけないためよく動きます。それ故に陽であるといえます。
臓は「満ちて実すること能わず」。
腑は「実して満つること能わず」。
といいます。
つまり、臓は精気やエネルギーという気で満ちているが、水穀(飲食物)という物で実することはないと。反対に、腑は水穀という物で充実するが、精気は充満することはできない、ということです。
臓と腑で表裏の関係となっていることが、ここで分かりますね。
臓腑を陰陽・表裏に分けることで、
物を伝えて気化する段階の話なのか、
栄養素から得られた気というエネルギーを蓄える段階の話なのか、を分けて考えることができますし、
寒(冷え)と熱の問題とも多少関わってきます。
のちにご紹介していきます臓は陰経・腑は陽経というふうに経絡にも関わってきます。
それ故に治療する上では重要なことです。
2.臓腑と陰陽五行
臓は陰、腑は陽でした。
臓は加工と貯蔵のセンターで陰。
腑は処理と輸送を担う陽。
この分担によって生命活動が行われています。
陰陽と五行説が結びついたことから、内臓も陰陽・五行の別があります。
下の表に臓腑の陰陽と五行の配当を示しました。
これには便利な覚え方があります。
木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)という五行がめぐる順番に、
臓は、肝・心・脾・肺・腎
(かん・しん・ひ・はい・じん)と覚えます。
腑は、胆・小腸・胃・大腸・膀胱
(たん・しょう・い・だい・ぼう)と覚えます。
臓と腑は陰と陽の関係にあると述べましたが、
同じ意味で表と裏の関係にあるといいます。
例えば、肝胆を例に挙げると、
臓である肝は陰であり裏
腑である胆は陽であり表
という具合で、
肝胆はともに同じ五行の「木」に属します。
五行では同じ「木」ではありますが、陰と陽の別がありますので、肝は乙(きのと)、胆は甲(きのえ)とも表し、乙木といえば肝のことであり、甲木といえば胆のことです。
「きのえ」「きのと」の「え」と「と」は、「兄」と「弟」。つまり「え」は陽。「と」は陰です。木の陽と、木の陰という意味です。
これら、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を十干といいます。
もう一つ、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥はお馴染みの十二支です。これらも臓腑の配当が決まっています。
ところで、
臓に「心包(しんぽう)」
腑に「三焦(さんしょう)」とありますが、
あまり聴き慣れない臓腑です。
東洋医学独自の臓腑となります。
ここではこういうものもあるのだ、
というくらいにみておいてください。
これで全部で六臓六腑となり、合わせて十二となります。
人体の気の通り道である経絡も十二本あり、また十二支とも結びついて天地自然の運行と人がつながり、診察や治療にも応用しやすくなります。
さて、これで臓腑の陰陽と五行配当が決まりました。まず臓だけでいえば、
木が肝
火が心
土が脾
金が肺
水が腎
という具合です。
なぜこのように配当されるのか考えてみましょう。
前回のブログ「陰陽五行説」の中でも、木・火・土・金・水とは、自然の生まれ・長じ、変化・衰え・死というエネルギーの循環を象徴したものであると述べました。
陰陽五行説 - 京都東山三条 白澤堂ブログ〜東洋の医学と哲学
一日においては、朝は木、昼は火、午後は土、夕方は金、夜は水。
一年においては、春は木、夏は火、長夏は土、秋は金、冬は水です。
まずは一日における臓の働きの流れをみていきましょう。
朝起きて活動を始めるためにまず働かせないといけないのは、寝て休ませていた筋肉を動かして、全身に血をまわさなければなりません。筋肉を適度に働かすことで、ポンプのように血流を全身へと送り届ける準備をします。このような関節を動かすための筋(腱や靭帯や筋膜)を司るのが肝です。朝の木の気を発現するのは肝の役目ということです。
そこから昼に近づくにつれ、ようやく心臓が旺盛に働いて十分な血液を内臓の方へとまわす余力が生まれます。心臓の絶え間ない運動と血液を送り出し全身を温める熱量は火に属します。心は血脈を司り、昼の火の気に該当します。
血流が消化器にも充分行き渡った午後には、消化活動である脾の働きが旺盛となります。消化し栄養を吸収して全身へと運化するには、火である心の助けを借りなければなりません。脾は消化吸収を担い、肌肉が豊かになり生命活動の土台をつくります。そのため脾は午後の土の気に配当されます。
夕方になると、大気中の二酸化炭素量が増え、酸素が減ってきます。気温も変化するのでそれに対して防御しなければなりません。そのため、呼吸機能を促進すると同時に、皮膚のきめ(腠理そうり)を引き締め、あるいは緩めて気温変化に対応します。肺は呼吸と皮毛を司るので、夕方に旺盛となるので金に属します。また、日中に動いて熱をもった頭や筋肉をクールダウンさせるのも肺の働きです。呼吸は、ガス交換だけでなく放熱の意味があるからです。
夜は身体の掃除をする時間です。一日にため込んだ老廃物を休んでいる間に腎で濾さないといけないので腎の働きは強くならないといけません。日中は動いている振動で勝手に濾過されますが、夜は動かないので腎が働く必要があるのです。また、寝ている間は骨に圧力が加わらないので、骨髄で赤血球・リンパ球などの血と免疫細胞を造ります。夜は泌尿器や骨といった水と関わる時間なので、腎が水に属します。
※骨髄では、圧力が加わった時に白血球のうちの顆粒球・単球がつくられ、圧力が加わらない状態では赤血球と白血球のうちのリンパ球がつくられます。マラソン選手の高地トレーニングは、低気圧という圧力低下を利用して赤血球濃度を高める意味もあります。
次は一年における臓の働きをみてみましょう。
春は未だ大地は冷たく天は暖かくなりはじめる季節で、その温度差で風が生じます。風気が上昇して舞い上がるので、肝の昇発の気が春に相当し、五行の木に属します。肝がしっかりと気血をスムーズに全身に送り届ける「疎泄作用(そせつさよう)」によって四肢関節の筋を滋養しなければ、筋が拘急してめまいやひきつりを起こします。
夏は気温が最高で、万物が繁茂する季節。この時期人間も活動的となり、全身の毛細血管を開いて盛んに汗を出し放熱しなければなりません。植物においても地中から水分を吸い上げ葉から盛んに水分を蒸散し、自然界における水や熱の循環も最大となります。この推し進める「推動作用(すいどう作用)」によって、全身に血液を送り届け、エネルギー循環の最も激しいこの季節に対処します。その中心を担うのは心です。よって、心は夏の火気に属します。
長夏とは、日本では夏の前の梅雨にあたりますが、中国では夏が終わったあとのじめじめした季節のことを指します。この時期、食欲が落ちます。そのため消化吸収を担う脾は湿を嫌うといいます。なぜなら、脾は運化作用といって、湿度の高いこの時期に体内に溜まった水液を運搬することに力を注ぐため、消化吸収に充てるエネルギーを削がれるからです。身体に湿が溜まることで水液や血流が停滞しやすくなるのを処理するのが脾ですが、本来の働きを阻害されてしまうことを嫌います。水液を代謝しつつ消化吸収により栄養を蓄える働きが脾に求められます。これは肥沃な土に相当し、植物でいえば果実を実らせ水と糖度をたっぷり含んだ状態を指します。そのため脾は土に属すのです。
秋は乾燥とともに寒くなってくる時期です。また万物が栄養を蓄えた状態から冬を越そうとする準備期間となります。肺は乾燥と寒さに弱く、弱っているとすぐ風邪をひいてしまいます。この時期に肺が弱る原因となるのは、夏の湿気や水の摂り過ぎにより余分な水分が体内に貯留している場合です。冬に向けて取り込んだ栄養と水分を濃縮させていく時期が秋であり、余分な水液が多ければ、水分を代謝して濃縮を担う肺にも負担がかかるために弱るのです。水液を濃縮し冬に旺する腎へと気を下降させる作用を「粛降作用(しゅくこうさよう)」といい、金気の収斂の作用に相当するため、肺は金に属します。
冬は極寒の外気から身を守るため、万物は土に潜り、冬眠し、人においては他の臓の働きを内に収めて代わりに腎が働くことで、身体の芯部に気を集めて漏らさないようにします。このような腎の「納気作用(のうきさよう)」や「封蔵作用(ふうぞうさよう)」により気や精が漏れ出ないよう蓄えておく働きが大切となります。水が様々なものを溶かして中に取り込み蓄える性質と似ているので、腎は水に属します。
以上のような説明で、五臓と五行の関係性が少し理屈として腑におちることと思います。
次に、臓はいいとして、腑の方はどうなるのか?
肝と胆、腎と膀胱、脾と胃(消化器系)などはなんとなく関係しているのが分かることと思います。
一方で心と小腸、肺と大腸が表と裏のペアであることは理解に苦しみます。
少し苦しいですが、小腸には「絨毛」と呼ばれる微細なヒダがあり、ここに毛細血管が広く分布しています。腑の中で血脈の多い小腸と、血脈を司る心が結びついたのでしょうか。
肺と大腸に関しては、どちらも水分と関わり、また熱を捨てる働きがあります。呼吸や汗孔を開いて水分の発散や宣布を行う肺に対し、大腸は便に水分を捨てたり便から水分を吸収して調節します。また、呼吸は空冷の意味もあり、風邪がこじれて皮膚や呼吸で排熱できない場合には、お腹を下すことで排熱します。腸は免疫機構の大半を占めており、このことからも剛の性質をもち防衛する金の働きが伺えます。
3.臓腑と月の話
陰陽五行とは異なりますが、私の師から教わった臓腑と月の話をご紹介したいと思います。
肝・心・脾・肺・腎
胆・小腸・胃・大腸・膀胱
五臓と五腑のこれらの字に注目してください。
何かに気がつきませんか?
(ヒント)月という字に着目してみましょう。
答えは、
心の字以外の臓腑には、月(にくづき)があるということです。
この月はなんなのでしょう?
なぜ臓腑には月がついているのでしょうか。
この謎について、
師である傅嵩青老師から教わったことは、
夏至の日、朝の三時。
地平に太陽が昇ろうとする少し前くらいの時間。
月の周りに3つの星が昇り、
ちょうど「心」の字にみえる日があるのです。
ちょうどこのような感じです。
つまり、月(にくづき)は心を表しているということです。
だから、心の字には、月は必要ないのですね。
心は他の臓腑よりも尊い君主であり、最も位の高く、高度で主導的な精神の働きを統べるのです。
胸中を語る、胸がうたれる、胸に響く、胸がしめつけられる思いとかいうではありませんか。
本当の奥深くにあるこころというものは、五臓のうちの心にあるのかもしれません。それをあれこれと脚色するのが頭といったところでしょうか。
誠の心という意味で、「赤心(せきしん)」という言葉があります。心の色は赤です。同時に赤子の無垢な心をも意味しています。偽りなき純真さは心に宿るということだと思います。
さて、月が他の臓腑すべてにあるということは、臓腑のすべてに心(こころ)が入っているということですね。
抽象的な表現になりますが、内臓はこころのエネルギーを借りて、働いているともとれます。
たしかに、病は気(こころ)からといいます。
東洋医学においても、臓腑は七情という感情によって病むと考えられています。感情が乱れると、ダイレクトに臓腑を傷めてしまいます。現代でいえば、ストレスみたいなものでしょうか。
通常であれば、外からきた邪というものは先に経気(経絡を通る気)を損ねるため、直接臓腑へと侵入することはありません。しかし、七情は臓腑そのものを傷める原因となりえます。
逆に、感情の蔵(くら)である臓腑が別の原因で病むことで、精神がおかしくなることがあります。そのため、精神の失調をきたしたものは、臓腑が直接病んでいるのではないかという判断材料にもなるわけです。
東洋医学では、心の平静というものを大事にするということが伺えるお話でした。
4.蔵象学説
冒頭で、現代医学の内臓観と東洋医学のそれとは異なることを述べました。
現代医学の内臓観は内臓自体の形態や機能を扱います。
他方、東洋医学の内臓観は、“蔵象(ぞうしょう)”といって、解剖的な面もありますが、内臓がエネルギーを閉じ込めていて、その気が体表などの外部へと発現し生理・病理的な影響を与えるという考えです。
“蔵象”とは、独特の用語で聞き慣れませんが、この言葉が初めてでてきたのは、《黄帝内経・素問》です。
帝曰.蔵象何如.
《素問・六節蔵象論》
蔵象とは何なのか?
象 形象也.蔵居于内,象見于外,故曰蔵象.
《類経・蔵象類》
蔵というのは、臓腑の実体であり内に在り、
象とは蔵が外へ発現したもの
ということになります。
言い換えると、
人体内部に位置する個々の内臓は、体表などの外部に生理的・病理的な機能として反映される
ということです。
人の身体の根本は内臓にあると言っているのですね。
具体的には、
心の臓を例にしてみましょう。
心臓は普通、血液を全身に送り届けるポンプです。これは東洋医学でも同じで、心は血脈をつかさどると表現しています。
そして、中医学でいう心臓はポンプ以外の外に現れる働きがあるというのです。
心は神というエネルギーを蔵して、神明これより出づ。つまり、神とは精神・思惟活動の根源であり、心臓の働きであるとしています。
また、例えば顔においては、心気の発現する場所は、舌です。舌には血脈が豊富で赤色でよく動くという点で心臓と性質が似ており、舌は心臓を象っているといえます。
汗は心の液といい、緊張すると心臓がバクバクして冷や汗がでます。体液の中でも汗は心が司ります。
このような感じで、心臓が体表の生理や病理と関わっているよ、というのが蔵象学説です。なんとなく、現代医学的な感覚でもわかる気がしますよね。
蔵象学、いわゆる中医学の生理学は、実際の治療にあたる上で「弁証」といって、患者さんの状態を把握するための基礎として重要です。
詳しくは書籍としてもまとめられておりますし、インターネットで検索しても分かりやすくまとめたサイトが多いので、ここでは全部は書きません。
臓は蔵する。
エネルギーや感情の蔵(くら)です。
大元締めだと思ってください。
臓腑から発したエネルギーが全身にくまなく循環して、五官(目や耳や鼻)や四肢が問題なく働けます。
臓腑と末梢をつなぐルートが経絡です。
物資であるエネルギーを運ぶ流通路と思ってください。
そして経絡を流れる気のことを「経気」と呼びます。
古典に触れる際には、臓腑そのものと経気は常に区別して考えるべきでありますが、実際にはその区別が難しかったり両方を指している場合もあります。
臨床上は臓腑の病、経気の病と便宜上分けてみる場合もありますし、一身一元の気として全体を意識しておく必要もあります。このように、東洋医学では内臓といっても色々な視野で観ていくことができればベストだと思います。
今回はここでおしまい、
次回はもう少し臓腑のことに触れていきましょう。お読みいただきありがとうございました。
東洋古典医学を現代に活かす
脈診専門鍼灸院 白澤堂HAKUTAKUDOU