東洋医学における陰陽とは(2)
こんにちは!!!
京都東山三条の
院長の長濱です。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
前回に引き続き、陰陽についてのお話です。
前回の話は、陰陽の一元性、二元性の話でした。本質は一つであり、二つあるわけではなく、陰陽は一つの本質を二つの尺度でみる見方であるということです。ただ、陰と陽という二つの軸をたて、二次元座標的に考えるという二元的なデジタル思考はとても便利なため、実際上はそのように扱われています。便宜上、当ブログの中ではそのような記述になることもご了承ください。
1.陰陽の二字
まずは陰と陽の字義について考えてみます。
初稿の〈「気」の概念から東洋医学を考える〉でも述べましたが、
もともと陰と陽の字は、中国最古の詩編《詩経》などには、単に日陰(ひかげ)・日向(ひなた)の意味で用いられています。
陰、闇也。水之南、山之北。
陽については
陽、高明也。
とあります。
まず陰の字に関してですが、ウィクショナリ―で字源を調べてみると、
「阝」(阜 おか)+音符「侌」(「云 」(雲)+音符「今」(含 口に含む)>「かくれる」)の意であり、丘の日陰側が原義。
Wiktionary 「陰」
とあります。よく山陰とか山陽とかいうのはこのためなのですね。丘や山や雲によって日の光が遮られる状態を表しているようです。
つぎは、陽に関してですが、
Wiktionary 「陽」
さらに、「昜」は「日+丂+彡」から成り立っており、丂は上に伸びていくこと、彡は光が発散する様を表し、日が高く昇ることを意味しています。丘や山の上に日が昇り照らしている様です。《説文解字》において「陽、高明也」という記述とも合致しています。
まとめますと、陰は光が遮られた部分、陽は光が当たる部分で、陰陽のもともとの二字はそのまま日陰と日向の意味であったことが分かります。
2.気の概念と陰陽の合体
古人は、一体なる自然の在り様を曇りのない眼でみつめることで、二つの大きな流れと循環があることに気がついたのではないかと考えます。
その流れとは、万物は生まれ、そして死んでいくということです。この永遠の循環に、まずは目を向けたのではないでしょうか。
一日の中で、太陽が昇れば、また沈んでいきます。
また一年の中で、花が咲けば、枯れ、実をなして、春になればまた咲き誇ります。
生まれて成長していく過程と、
成熟して衰えていく過程です。
気という本質によってつくられた万物が、生物も無生物も含めて、生の過程と死の過程という二つの流れにより不断に変化していくわけです。
目に見える現象の変化から、事象の裏に隠れた目には見えない気というエネルギーの働きの存在に気付きはじめました。
そうして、これらの働きは、日陰と日向を意味する陰と陽という語と次第に結びつけられたのです。前述の《詩経》の中には、陰陽の二字はありますが、気という字は使われていません。戦国時代の《荘子》になってから、陰陽の語と気という語が一緒に使われるようになりました。
つまり、太陽が昇り万物を照らし暖め、成長のエネルギーをもたらす過程を「陽」、太陽が沈み冷え固まって万物の活動が衰える過程を「陰」で象徴しました。
日向は明るく暖かい→万物は温められ運動・膨張・成長
日陰は暗く冷たい→万物は冷えて凝集・収縮・静養してエネルギーを蓄える
というように、日向と日陰のイメージが、気の循環過程と見事に結びついたのです。
3.陰陽の重要性
《黄帝内経素問・陰陽応象大論篇》には、陰陽について、このような記載があります。
陰陽者、天地之道也。万物之綱紀、変化之父母、生殺之本始、神明之府也、治病必求于本。
とあり、これはもう相当に陰陽というものが優れた概念なんだよと説いているわけです。
意訳しますと、
「陰陽は、自然の道理であり、万物の成長、消滅の変化の従うべき綱領であり、変化と生殺の根本、自然の神明なる変化流転の内在エネルギーの宿るところであり、病を治療するには必ずこの陰陽を求めよ」
となります。万物は陰陽の法則から離れることはないといっています。
ですから、鍼灸家や漢方家は、診察の際に必ずこの陰陽の変化を捉えて病状・病勢を把握することに徹します。
すべてをこの陰陽に結びつけるわけです。
4.陰陽の具体的性質
陰陽について個別にもう少し詳しく説明します。
▶︎陰の性質は、求心性です。
日が当たらず冷たく冷え固まって、小さく重たくなり下に降り、静的です。
▶︎陽の性質は、遠心性です。
日が当たり暖かく発散して、軽く浮上し広がり、動的です。
これに当てはめて考えれば良いのです。
例えば、人間の部分でいえば、日焼けする背中は陽です。日焼けしにくいお腹は陰です。もっといえば、胎児の時に丸まっていますので、その時に内側にきている部分は陰です。もともと四つ足動物であったと考えても同じことです。
ただ一つ注意が必要です。
水に例えましょう。
冷えて固まると氷になる(陰)ので、陰の性質は硬いのではないかと思ってしまうのですが、陰の性質は柔(やわらか)です。これは、陰が水を象徴し、滋潤(うるおす)作用があるからで、こちらの性質を代表させているからでしょう。しかし、陰は同時に固める作用があるのも事実です。(→陰陽の多義性:以降で述べます)
老化により身体が硬くなるのをみれば、陰の性質は硬いのではないかと思うでしょう。しかし、老化により身体を潤す陰の水分が減ったから身体が硬くなったとも考えられます。ここは、事象により、何を対象、基準にしてみているかによって、考えなければならないポイントです。
※死後硬直により硬くなるのは、陰が極まり、転じて陽(硬い)となったと考えてもいいわけです。
同様に、水に熱を加えると蒸発して軽くなり浮上してしまうので、陽が柔らかいのではないかと思うかもしれませんが、陽の性質はその動的性質と力強さから剛健を表し、硬い方を象徴します。
5.陰陽のルールと相補性
陰陽概念の運用には以下に示す一定の決まりがあります。
▶︎陰陽対立
▶︎陰陽消長
▶︎陰陽互根
▶︎陰陽転化
▶︎陰陽可分
順に図をみながらご説明します。
白の勾玉と黒の勾玉が抱き合った形のよく目にするマーク。「太極図」とか「陰陽図」と呼ばれます。
白色が陽、黒色が陰をあらわしています。
陰陽は、光と闇など対立関係にありながら、一方が暴走しないよう互いに制約する相互作用関係にあります。これを「陰陽対立」といい、図のように常に二つで一つとなっています。
そして、一方が長じると、他方は減じます。ちょうどシーソーの一方が高くなれば、他方は低くなるように、陽が多くなれば、それに伴い陰は小さくなっていきます。全体の総量としては変わらず、陰陽の配分だけが変化するのです。これを「陰陽消長」といいます。
そして、シーソーの両端を陰と陽とすれば、本体の中心にある支点の部分を基に陰と陽が変化します。これを陰陽の根っこと捉えて、陰陽は同じ土台に根ざしているという意味で、「陰陽互根」といいます。二つのものが実は一つの本質の支えの基で変化流転しているのだよ、という意味で、基本的に陰陽は分離せず、二つで一つ、相互依存関係にあるのです。
この土台の大きさは様々に設定することができ、例えば元気いっぱいで気が充実している人は大きな陰陽図の上で陰陽のバランスを取ります。逆に元気がなく気が不足している人は身体も弱々しく、小さい陰陽図を土台にして、陰陽があるということになります。
そのような土台の上で、陰陽どちらか一方が最大もしくは最小となった時に、陰陽が逆転します。よく言われる「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転じる」です。一年で例えれば、真冬になり、日がどんどん短くなり陰気が長じて陽気が消えそうになりますが、冬至になった瞬間に、陽気が再び生まれるのです。これを「一陽来復」と呼んでいます。この働きを「陰陽転化」といい、このようにして循環が成り立ちます。
陰陽図の中にある小さい○と●が表すのは、「陰の中に常に陽があり、陽の中に常に陰がある」ということです。「陰中の陽、陽中の陰」といいます。さらに、陰の中にも陰陽があり、陽の中にも陰陽があります。陰陽は際限なく分割して考えることができるので、この原則を「陰陽可分」などと呼んでいます。
このように、陰と陽は入れ子構造となっていたり(重層性)、論じる場によって陰陽が変わってきたり(相対性、多義性)するため、実際には複雑な面もありますが、簡易的にイメージをするため、以下のような図を作成しましたので、参考にしていただければと思います。
先ほど陰陽の一方が増えれば、他方が減るという「シーソー」のイメージをグラフにしてみたものです。正弦曲線(サインカーブ)で表現することができます(陽はsinθの曲線、陰は-sinθの曲線で表しています)。
図のように、陽が最大であるとき(陽のシーソー端が最も高い位置にあるとき)、陰は最低(陰のシーソー端は最も低い位置にある)です。そして、陽が最高点に達した後は、衰退していく(シーソー端が低くなっていく)ことがわかると思います。
気一元的に考えるのであれば、正弦曲線グラフは赤か青のどちらか一つでも表すことができます。1に近づいていく方向を陽、-1に近づいていく方向を陰と考えればよいわけです。棒グラフの場合も同様に、一本の棒磁石のN極とS極の割合が変化するだけです。
基本的な陰陽を運用する上での5つのルールをみてきましたが、すべては対立しながらも互いに離れず、相い補い合う関係にあるため、「相補的である」ということができます。
6.太極図のそもそも
最後に、よく目にするので認知度もそこそこあるかと思われる太極マーク(太極図)ですが、そもそもどのようにして描かれたものなのでしょうか。
太極図は別名「陰陽図」ともいいます。今までの記述で、このマークが陰陽の対立や消長を表すことが分かってきましたが、それもそのはずです。実はこのマークは、「陰陽図」という文字通り、古人が自然の陰(かげ)と陽(ひ)の移り変わりを記録し、象(かたど)ってできあがったものなのです。
それでは、どのようにして陰(かげ)と陽(ひ)の移り変わりを記録したのでしょうか。
それは、圭表という棒を地面に立てて、地面にできる影の長さを一年を通じて逐一記録したのです。
どうしてそのようなことをしたかというと、
棒の影の長さによって、太陽の南中時刻や高度、太陽の運動や季節や緯度を推測することができたからです。
太陽の南中高度が最小となる時期を割り出して、そこを出発点として暦を作り、農業や政治に活かすことができました。
古人がどの程度のスパンで影の長さを記録したかは分かりませんが、とりあえず二十四節気ごとに影のながさを円形にプロットしてみましょう。下図のピンクの部分が影の長さの割合を表しています。
見事に、太極陰陽図が現れていますよね!自然の理がつくったデザインともいえます。
それでは、「冬至」の部分に注目してください。一年の中で最も日が短く、南中時にできる影のながさが長い節気です。要するに、陰が極まったところです。
そして、「冬至」を過ぎて、春に向かうにつれて陽気が生じはじめ、次第に日照時間が長くなり、影のながさは短くなっていきます。このような自然のサイクルが、陰と陽の絶え間のないエネルギーの交流が、このマークに表現されているともいえます。
ただ棒を地面に立てて影をみる・・・たったそれだけで暦を作り、生活や農業や政治に活かし、学問や医療の根幹となる思想をつくりあげた古人の叡智に驚かされるばかりです。
陰陽について、2回に分けて書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。自然のさまざまな事象を陰(かげ)と陽(ひ)に代表させるシンプルでありながら奥深い陰陽論、まだまだ内容はたくさんありますが、今回はここまで。
陰陽論は、この後五行学説と結びつき、陰陽五行説としてさらに東洋哲学・東洋医学の重要な概念となっていきますので、のちのちご紹介していきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。