京都東山三条 白澤堂ブログ〜東洋の医学と哲学

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冬の養生法

こんにちは!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

冬の養生をご紹介します。

まず始めに、冬の期間ですが、毎年11 月7日前後の立冬〜2月4日前後の立春までの3ヶ月間です。二十四節気でいえば、立冬小雪・大雪・冬至小寒大寒の六節気となります。

 

冬の養生について、古医書である《黄帝内経素問・四気調神大論》にはこのように記述されています。

冬三月.此謂閉藏.水冰地坼.無擾乎陽.早臥晩起.必待日光.使志若伏若匿.若有私意.若已有得.去寒就温.無泄皮膚.使氣亟奪.此冬氣之應.養藏之道也.逆之則傷腎.春爲痿厥.奉生者少

 

(冬の三ヶ月は万物の生活機能が潜伏閉蔵する季節である。だから河の水は氷り、地面は凍って裂ける。この時期には、人は陽気をかき乱してはならない。少し早く眠り、少し遅く起きるべきであり、起床と就寝の時間は、日の出と日の入りを基準とするがよい。心を埋め伏し、しまい隠しているかのように安静にさせる。ちょうど人に話しにくい私情があるかのように。また、すでに秘密をつかんだような愉快な気分で、極寒を避け、温暖に保ち、皮膚を開いて汗をだすようなことをして、閉蔵している陽気に影響を受けさせてはならない。これがつまり、冬に適応して「蔵気」を養うという道理である。もし、この道理に反すると、腎気を損傷し、来春になって痿厥の病を発生し、人が春の生気に適応するという能力を減少させてしまう。)

    『現代語訳 黄帝内経素問 上巻 東洋学術出版社』

 

これを参考に、冬の養生についてご紹介していきます。

 

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1.閉蔵の季節

冬は「閉蔵」の季節と呼ばれます。「閉蔵」というのは、一年で一番寒く陰が盛んとなる時期に、陽気をかばって漏らさないためにしまい込むと同時に、陽のエネルギーを深部に集め、「核」となって次の生命を生み出す準備をする、という意味があります。

 

冬季は、草木が凋零する代わりに根を強くして種をなし、動物は冬眠し、虫は地中に潜って、万物もこれと同じように閉蔵します。“天人相応”の原則からいえば、斂陽保陰(陽を収めてかばい、陰を保持する)という二点が大切となります。例えば人体の自然な反応としても、夏は皮膚表面に気血を集めて汗や熱を放散する必要がありましたが、冬は熱を逃してはいけないので、気血は身体の深部の方に集めて守ります。夏と冬では気温に40度ほど差がありますから、この気温差に身体も対応しているのです。

 

エネルギーを深くに凝集して、次代の生命につなぐ働きは、腎の働きに相当します。故に、冬は腎気が盛んになり、冬に腎の養生がうまくいかないと、春になって身体を軽快に動かしてゆく“生”の気の発現ができず、身体がだるく足腰が立たず、春に病を患うことになってしまいます。腎は人体を維持する基本物質の一つ「精」を蔵する働きがあるので、腎を傷めると翌年の春に精という基礎物質を提供できなくなるのも、一因です。

 

腎を守るためには、冷えに気をつけなければなりません。冬の気候の特徴は寒であり、寒邪も外寒と内寒に分かれますが、どちらにしても身体の陽気を損なうのを避けることが、腎のエネルギーを守ることにつながります。

 

そのために、先にご紹介しました黄帝内経には、すべて陽気を損なわず腎を守るための生活の仕方が書かれているのです。

 

内容をまとめると、

  • 早く寝て遅く起きる
  • 精神を落ち着ける
  • 汗をかきすぎない

ということが書かれています。

 

順に解説してみます。

 

●冬はやや早く寝て遅く起きるというのは、冬は日の出から日没までの時間が短いので、なるべく太陽の出ている時間に動くことで、陽気を失うのをかばいます。と同時に、寝て身体を休める時間を長くとって陰気を確保します。具体的には、夜は亥刻(21:00〜23:00)、朝は卯刻の遅め(6:30〜7:30)に太陽が昇ってから起きると良いでしょう。

 

●冬季六節気は精神を落ち着かせることが重要です。これは、喜怒哀楽すべてにおいてです。心志を安定させることに重きをおきます。情志を過激に掻き立てて、潜伏していた陽気を撹乱するようなことをしては、せっかくかばっていた陽気が散じてしまうからです。情動が過ぎると病気になるという考え方は、心身一如とする東洋医学の特徴です。特に「驚き」や「恐怖」の感情は、腎と関わりが大きく、腎気を損ないます。

 

●汗は、陽気が漏れ出たものです。つまり、激しい運動をしたり、サウナに入ったり、辛いものを食べて汗をかくことは、陽気の脱失に繋がります。また、冬は寒いので冷えに気をつけましょうと述べましたが、暖房をかけ過ぎたり厚着をしすぎて発汗することも避けねばなりません。冬の運動に関しては、朝に日が出てから昼くらいまでの陽気の多い時間帯に、少し汗が滲むくらいの活動量であれば、やった方が良いでしょう。

 

冬は陽気は内にあり、陰気は外にあるのが「順」です。もし冬に過剰に辛いもの、熱いものを食べたり、暖かくし過ぎて、内にある陽気を撹乱させれば、外に漏らして冷えの病になるか、内に積熱してこもり、陰虚火旺の症候が現れ、春に温病を患ったり、宿疾(長い間治らない病気)に悩まされることになるため、秋冬は陰気を養うということも重要なのです。

 

2.少鹹多苦、補助心気

冬は腎気の旺する(盛んになる)季節と述べました。腎は人体の水に相当します。人体の水気が多すぎると、火の性質である心臓に負担がかかるのです。心臓もポンプですから、多くて押し詰まった水を流すのは大変なのです。そこに寒さが加わるので、心臓などでますます負荷がかかり、狭心症心筋梗塞、高血圧、脳卒中などを発症しやすく、注意が必要です。

冬には腎気を保護すると同時に、心気を養うことが重要となってきます。

そこで、食養生としては腎に作用する鹹(塩からい)味を控えて、心気を助ける苦味を多く摂ることが基本となります。

鹹(塩からい)味は、どうして冬に心臓に負担をかけてしまうのでしょうか。

塩分といえば、もともと海からきているものです。海に塩分があるからこそ、浸透圧でもって、海は太陽の熱で水を蒸発させすぎずに蓄えることができます。要するに、塩分は保水の働きをするということです。これと同様で、血液中の塩分濃度が高まると、身体各所の細胞から血液中へと水分が引き込まれ(脱水)、さらに口渇による水の摂取も増えて、血液量が増加します。当然高血圧にもなりますし、心臓にも負担がかかり、機能が低下するということです。

こうした理由から、鹹味は控えて、心気を助ける苦味を摂取することが冬の養生では大切です。

例えば、春菊、苦瓜、たけのこ、羊肉、紅茶、ココア、などを摂ると良いでしょう。

その他、身体を温めるものとして、旬の根菜類、紫蘇、ネギ、クルミ、サツマイモや栗も冬に良い食べ物です。

 

3.黒色の食べ物は腎に入る

自然界の五色の配属中、黒色は腎に属し、黒い食べ物は腎に入ります。中国の民間節気に“數九(冬九九)”というのがあり、毎年12月下旬頃、冬至の最初の壬日から起算して約八十一日間であり、寒さが厳しい時期です。これを過ぎると暖気が出てき始めると言われています。

中国では、この“數九”の時期に、黒色の食べ物を食べるという風習がありました。黒色の食べ物は腎気を養い、寒さに対する抵抗力をつけるからです。

 

例えば、

黒米、黒豆、黒胡麻、黒木耳、昆布・海苔・モズクなどの海藻類です。

 

黒米は胃腸を強くし、肝を温め、身体の中部を強壮します。黒豆と黒胡麻の栄養素はコレステロールを下げ、正常な血液循環を助けます。黒木耳(キクラゲ)の豊富な鉄分は貧血と寒がりの症状を改善します。昆布・海苔・モズクはアルギン酸、ヨウ素、カルシウムなどが豊富で、血管を柔らかくして血液循環を促し、甲状腺ホルモンの合成と分泌と促進させ、耐寒性を高めます。

 

4.さいごに

冬は、風邪やインフルエンザが流行しやすい時期です。これらを予防し、また治すには結局は自身の免疫力にかかっています。

 

風邪をひいて熱がでたときに免疫力を高める重湯のレシピをご紹介します。しんどい時、簡単につくれます。

 

  1. 昆布やワカメなどの海藻を細かく切り、炊いておいたごはんと一緒に鍋に入れる。
  2. ごはんの8倍の量の水をいれ、トロトロになるまで煮込む。
  3. そうしてできた上澄みが重湯で、これを飲む。
  4. 底に残ったごはんはすり潰して食べてもよい。

 

昆布・ワカメ・モズクなどの褐藻類に含まれるフコイダンには抗インフルエンザ作用があるので、予防に毎日食しても良いでしょう。

 

以下のリンクは白澤堂のホームページのブログですが、免疫力を高める他のレシピをご紹介しています。とても優秀なレシピだと思いますので、是非活用して冬を乗り切ってください。

 

https://hakutakudou.com/2019/10/22/akifuyu-youjyou/

 

鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU – 京都市東山区三条で頭・肩・腰の痛みや不調につよい鍼灸院・接骨院

 

四時と四行

みなさま、こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

今回は、四にまつわるお話です。

 

四時とは、春・夏・秋・冬。四季のことであり、天に属します。

 

四方とは、東西南北、方角のことであり、地に属します。

 

四行とは、あまり聞きなれないかもしれませんが、五行の前段階の思想です。

 

今回は、この3つについて、述べたいと思います。

 

 

 

1.四時

物事を、陰陽に分けたのち、さらに陰の中にも陰陽、陽の中にも陰陽があるという話を以前の記事でしました(陰陽可分、陰陽の重層性)。

 

この地球上においても、極点などの常に寒い場所もあれば、亜熱帯で雨季と乾季という二季性の場所もあり、陰陽の移り変わりがもっと細やかに現れる四季のある場所もあります。

 

これらは地球と太陽の位置関係および地球上の場所によって変化し、春夏秋冬の四季は次の4つの位置関係が移り変わることによって、循環します。

 

  1. 地球の北極側が太陽を向く(北半球が夏になり、南半球が冬となる)
  2. 地球の南極側が太陽を向く(南半球が夏になり、北半球が冬になる)
  3. 4.地球の自転軸が太陽に垂直(直角になるので、赤道面に太陽がくる)▶︎春と秋

 

地球の自転軸は傾いているため、太陽の周りを公転する間に、①自転軸が太陽の方に向く時、②太陽と逆向きに傾く時期、③④太陽に対して傾きをもたない時期、これら4つの時期の巡りが四季をもたらします。

 

この循環を、陰陽で表現すると、一年で一番日が短く南中高度の最も低い冬至を過ぎた時点で、陽気が芽生えはじめ(一陽来復)、春から夏に向けて陽気が長じて最大となり、一年で一番日が長く南中高度の最も高い夏至を過ぎた時点で陰気が芽生え(陰陽転化)、秋から冬にかけて、陽気が衰え陰気が伸びると言えるのです。

 

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上記の図は、易の概念ですが、太極から陰陽が分かれ、さらに分かれて、「陽中の陽」「陽中の陰」「陰中の陽」「陰中の陰」の4つの状況に分かれたところまでを表した図です。

 

易経・繋辞上伝》に

易に太極あり、是両儀を生ず、両儀四象を生じ…

とある部分です。

 

「陽中の陽」を太陽または老陽(「太」と「老」は同義です)、「陽中の陰」を少陰、「陰中の陽」を少陽、「陰中の陰」を太陰または老陰と呼び、これを四象と言います。

 

四季でいえば、「陽中の陽」である太陽は陽気が最大となる夏にあたります。「陰中の陰」である太陰は陰気が極まる冬です。春は陰気が極まってまだ多く寒さが残る中に、陽気が芽生えて万物が生長してゆく段階であるので、「陰中の陽」である少陽と言えます。秋は陽気が最大となった中で陰気が徐々に伸びて閉蔵の冬へと向かう時期なので、「陽中の陰」である少陰が当てはまります。

 

並べて書きますと、

「陰中の陽」である春→「陽中の陽」である夏→「陽中の陰」である秋→「陰中の陰」である冬

 

というように移り変わります。

 

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上図のように表すと、分かりやすいかもしれませんね。要するに、春夏は陽、秋冬は陰なのです。陰陽をさらに分けて、四つのフェイズができたわけですね。

 

ここまでは、一年間の四季の移り変わり(地球の公転による影響)でした。

 

同様に、

 

1日の移り変わりは、東から太陽が昇り、南中し、西に沈んでゆく移り変わりにも当てはまります。これは、地球の自転によってもたらされる変化です。

 

日中を陽、夜中を陰とし、さらに各々陰陽に分けますと、

 

朝・昼・夕・晩

 

のように、1日を四つに分けて考えることもできます。

 

朝を「陰中の陽」=少陽

昼を「陽中の陽」=太陽

夕を「陽中の陰」=少陰

晩を「陰中の陰」=太陰

 

という具合です。

 

2.四方

さらに、方角を考えてみましょう。

春夏秋冬、朝昼夕晩の四時は、時間に関するもので、天(陽)に属します。

方角は東西南北であり、空間に関するもので、地(陰)に属します。

 

天は動き、地は動かないものと考えられていましたので、「天円地方(てんえんちほう)」といい、天は移ろい、地はどっしり土台としてあるのです。故に、円は陽、方は陰です。

 

古墳にも「前方後円墳」や、京都の雲龍院や源光庵で観れる「悟りの窓・迷いの窓」などが円と方で陰陽を表現しており、興味深いと思います。

 

さて、東西南北では、太陽の昇り始めて南中する東と南が陽であり、太陽が沈んでみえなくなる西と北が陰となります。

 

朝昼は東と南に太陽があり、夕晩は西と北に太陽が沈むので、時間と方角は陰陽の概念で矛盾なく扱えます。これは、結局は太陽の影響力の移り変わりを陰陽で表現しているので、当たり前といえば当たり前の話です。

 

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聖徳太子が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言を隋の皇帝に送ったとする話を思い出しましたが、これもすごく皮肉な表現ですね。「君子南面す」という言葉もあるので、陽気の最も多い南を重視する中国の思想が伺えます。思えば、正しい教えで導くことも「指南」といいますしね。

 

それはさておき、ここから、中華思想が生まれたり、五行の概念へと発展していくのですが(次回のブログで述べる予定です)、もともとは四つの概念でありました。

 

 

3.四行

四行(しぎょう)とは、四つのめぐりのことです。手の指が5本あるから、5の方が区切りもいいし便利そうなので、五行でいいのではないだろうかと思いますが、五行の概念の前には四行の世界観がありました。それこそ、夏王朝の頃の時代だと思われます。五行は比較的新しい概念なのです。

 

なぜ、四の世界観となったのでしょう?

 

それはやはり、一元の気によってできた世界を、陰陽という二つの観点に分けて考えたからです。天地のものをさらに陰陽に分けて分節化し、四つの局面で考えました。

 

まず初めに、宇宙は混沌とした状態である「太極」でありました。当時はこれを「湿」と呼んでいたそうです。

 

この太極である「湿」に、どこからともなく風(気)が吹き始め、気の作用によって陰陽の区別がつくようになり、現在の世界が始まったと聞き及んでいます。

 

陰陽、すなわち天地が分かれたということです。天地をさらに二分して、地はさらに地と水、天はさらに火と風に分けて考え、「地・水・火・風」の四行の観念が成立し、当時はこれで政治なり運通なり農業なりをやっていたわけです。

 

ここに、「空」が加わると、仏教でいうところの「地・水・火・風・空」の五大・五輪となります。ちなみに古代インドやギリシャ四元素説も地水火風ですが、四行と同じではありません。根本は同じですが、各々独自に発展したようです。

 

地・水・火・風は元素のような世界の構成物質ではなく、うつろう気の状態を四つの相に象徴したものです。

 

地は、気の固体状態を表わし、大地です。

水は、気の液体状態を表わし、海です。

火と風は、気の気体状態を表わし、空気とも言え、

特に風は、地・水・火を生じさせる原動力であり、気を循環させるエネルギーでもあります。

 

水と火は、冷性と熱性の象徴でもあります。

天地でいえば、地と水は、地に属し、陰です。

火と風は天に属し、陽です。

 

四行観を人体に当てはめてみると、

地は、肥沃な土です。

人間でいえば肌肉といって、ふくよかで艶のよい肉にあたります。胃腸が弱って、ここが痩せると、冷えたり疲れやすくなったり、体力が落ちるのですね。

 

良い肌肉を保つには、栄養されなければなりません。そこで、火の作用。様々なものを燃焼させ気化させエネルギーを取り出し、さらにそれを全身に必要な分だけ分配して送り届ける動力としての動脈が必要になります。

 

そして、その中を流れて潤すものとして、水があり、動脈血や静脈血やリンパ液などにあたります。これが少なければ、摩擦や軋轢が多くなり動きにくく熱を生んで、抑えれなくなりますし、逆に多ければ浮腫になってしまうわけです。

 

これら地・水・火の働きを助けて円滑にし、かつ空気のガス交換をする働きが風です。

 

このようにして、人体が機能すると考えられていました。

 

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上図のように、下から地・水・火・風と並ぶ人体観です。五輪塔に似ていますね。下にいくほど固化し、上にいくほど気化しなければなりません。

 

下が固まらなければ、脚腰が立たなくなり、二便は漏れてしまい、胃腸が下垂してしまいます。

上は上で、固まってつまってしまったら息が詰まって呼吸が浅くなり、落ち着かず心臓がバクバクして頭痛やめまいが起きてしまいます。

 

このような身体のバランスといいますか、気の密度の在り様というのは、気功の世界でも重要視されていますし、目や頭ばかり使ってストレスを溜め込み、夜通しスマホをみたりして気が上に上がりっぱなしの現代人にも、当てはまる話ではないでしょうか。

 

不摂生により地・水・火・風のバランスが乱れると健康を損ないますよ、といっているのも、四行の世界観なのです。

 

以上、四時と四方と四行についてでした。

 

 

鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU | 中国脈診による鍼灸と関節整復により早期回復を目指す治療院

 

天人地三才の思想

こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

前回は「陰陽」についてご紹介しました。陰陽は、太極を二つの視点で捉えなおすものでした。

今回は、2つに分けた陰陽(天地)の間に人界を置いて、世界を3つの視点で捉える思想のお話です。

 

 

1.三才(天・人・地)

「天・地・人」という言葉を聞いたことがあると思います。昔、NHK大河ドラマで「天地人」というのがありましたしね。

 

でも正しくは、「天・人・地」です。

 

森羅万象は「天・人・地」の働きによって成り立っていると考えるのが三才思想です。

 

まずは、東洋の宇宙観をみてみましょう。陰陽が別れて天地ができる宇宙の生成についての記載は、《呂氏春秋》や《淮南子》にみられます。

 

呂氏春秋》と《淮南子》については、安岡正篤氏の『呂氏春秋を読む』の冒頭では以下のように述べています。

『呂覧』はシナ古典の中でも最も基礎的な、そして代表的な文献の一つであります。『史記』などではこれを『呂氏春秋』と申しておりますが、原名は『呂覧』でありまして、先秦文化のエンサイクロペジアとも言うべきものであります。

秦の始皇帝などの出現しない前の、古代民族の宇宙観・自然観・人間観というものが実によくまとめられてある。後世の思想・学問の多くに、これが流入しておると申してよろしい。

この書物に次いでつくられた似たようなものが、漢代にできた『淮南子』という書物で、これはどちらかと言うと、『呂覧』の方がより一般的であるのに対して、より多く老荘的(黄老的)であります。少くともこの『呂覧』や『淮南子』を読まなければ、後世のものを読んでも、それは川の本流を究めずして、いろいろの支流に遊ぶのと同じような感じがするのであります。

呂氏春秋》と《淮南子》が東洋思想や学問の本幹をなし、後世に与えた影響の大きさがわかる説明となっています。東洋思想の川の本流とまで評価していますしね。

 

私自身も、安岡氏の一般著書を何冊か読みました。そのどれもが古典を現代に活かすためのポイントを簡明に書かれておられます。氏が昭和後期に亡くなられてからも、必携の書として広く長く愛読されています。ブログの最後にリンクを載せておきますので、東洋思想にご興味のあるかたはご一読ください。

   

さて、《呂氏春秋・有始覧》には、

天地有始。天微以成、地塞以形。天地合和、生之大經也

とあり、天は目を凝らしてもみえないほど微細の物を以って成り、地は凝滞充塞にして形成し、天地間陰陽の気が合して万物が生まれると説いています。

 

また、これも古い書物ですが《列子・天瑞》篇には、

清軽者上為天、濁重者下為地

とあり、同様の記述は以下のように《淮南子・天文訓》にもみられます。

清陽者薄靡而為天、重濁者凝滞而為地

軽く清らかで微細なものが上って天となり、重く濁ったものが凝滞して下って地をつくった、とあります。

 

何から、両者が分かれたのでしょうか。天地が分かれる前段階があるというのです。

建之以常無有、主之以太一。

荘子・天下》篇

萬物所出、造于太一

呂氏春秋・仲夏紀・大樂》篇

 

道教の世界観ですが、太一から陰陽(両義といいます)に分かれ万物ができたと(「たいち」ではありません、「たいいつ」。太乙とも書きます)

 

太一とは、万物の根源、無と有の区別すらない無為の状態です。無と有を超えた混沌とは一体どういうことでしょうか。ちょっと想像がつきません。

 

思えば、高校時代でしたでしょうか。

宇宙は140億年ほど前にビッグバンという大爆発から急に始まったと習いましたが、「なるほど、大爆発によって宇宙が広がったのか。えらい劇的でドラマティックな展開だな。でも爆発の前はいったい何があったんだ?」というような疑問が直後に沸いた方もいらっしゃるでしょう。

 

ビッグバンにより時空が生じる前は、何もなかったといっても、想像がつきません。空っぽの、真っ暗な、何も見えず何も聞こえないような状態であったといっても、やはりそれはそういう暗く静かな何かがあったと想像してしまうので、本当の無というのは、人間は想像することができないものです。

 

自然科学の分野である現代物理学でも、色々なことがわかってきましたが、それでも結局肝心なところはなかなかわかっていません。

 

例えば、南部先生が提唱された「自発的対称性の破れ」から、真空の状態を説明することができましたが、これもビッグバンが起こってからの話です。

 

この話を持ち出すなら、完璧な対称性を有していたビッグバン直前の超高密度のエネルギー凝縮状態が「太一」であるということができるかもしれません。対称性が保たれているために、陰と陽などあらゆる区別がないような状態だからです。

 

物理学でいう真空の意味も昔とは異なり、何もない状態を指すのではなく、場のエネルギーがゼロ以下の状態という極めて低温低エネルギーの安定した状態のことを指します。そのような状態においても、まったくの無ではなく、場のさざ波などと表現されますが、物質と反物質が作用して生成されたり消滅したりと、波のようなエネルギーのゆらぎがあるというのです。

 

こうなると、物質も突き詰めていけば、粒子であり同時に波でもあるというよく分からないことになってきます。しかも、波と言っても確率の波であり、粒子がそこに確かに存在するのではなく、なにやら確率的にもや〜っと雲みたいに広がっていて、有るような無いような、そして誰かが観測した時点でシュッと収束して存在を露わにします。確率波が最小単位となった時(現在、波には最小単位があるとされています)、粒子としての性質を持つということです。

 

世界を形づくっている物質自体が、突き詰めて素粒子レベルまで研究していくと、ひどくあいまいな振る舞いをするというのです。観測者が対象である素粒子の速度を測れば位置が分からなくなり、逆に位置が定まると速度があいまいになる…本態自体は白黒はっきりさせず、まるで捉えどころのない、これこそ混沌とした「太一」のような状態ですよね。

 

これまでは科学や物理学の分野では、「客観性」というものを徹底して研究してきたわけですが、本当に「客観性」というものがありうるのでしょうか。要するに、「観測者と対象」はスッパリと分離できる関係なのかどうかが、疑わしくなってきているのです。

 

様々なことが科学でわかるようになり、科学技術は私達が制御するのに手があまるほど高度に発展し、扱うエネルギー量も膨れあがりましたが、依然として「無とは何か」「命とは何か」「我々はどこからきたのか」などの核心に迫る質問には答えられません。

 

これらの質問は、言ってみれば禅問答のようにも聞こえますから、逆にいえば老子孔子など古代の思想家・宗教家が説いている世界観に再び戻りつつあるといえるのではないでしょうか。昔の人々は、世の中をより良いものにするために、天地がどのようにして成り立ったのか、自分達がどこから生まれ、どのように生きるべきなのかという問題が、日々の営みの中においても、とても大切だったのだと思います。

 

このように考えると、東洋思想はとても現実的・実践的な要素が色濃いものであると言えます。造物主を崇拝する一神教のような「神の世界」を持ち出さないあたりが、ひどく現実主義的なのです。

 

閑話休題

 

さて、《列子・天瑞》篇には、無と有を包括する太一の「無為」を説明する良い記述があります。少し長いですがお付き合いください。

生命であればそれを生み出したものがある。形があれば、形を作ったものがある。音があれば、音を発するものがある。色があれば、色を染めだすものがある。味があれば、味をつくるものがある。

生あるものはすべて死ぬ。だが、それを生み出したものは死なない。形あるものは目に見える。だが、形を形としているものは目に見えない。音そのものは聞こえても、音を音にしているものは聞こえない。色の区別は見ればわかるが、色を色としているものの姿は見えない。味があるのはわかるが、味を味としているものは現れない。これらはすべて無為の働きである。

無為は陰でもあり陽でもある。柔でもあり剛でもある。短でもあり長でもある。円でもあり角でもある。生でもあり死でもある。暑くもあり寒くもある。浮きもし沈みもする。宮(音階:ドのこと)でもあり商(レ)でもある。現れしも消えもする。黒くもあり黄でもある。甘くもあり苦くもある。生臭くもあり香ばしくもある。無為は無知であり無能である。と同時に全知であり全能である。

列子・天瑞》

 

天地陰陽が別れる前段階である太一は、無と有を内包し、自他の区別すらない大いなる無私の状態。言葉によって認識・分類される前の段階です。老子は、こうした太一のもつ無為の働きを、純粋無垢の赤子に例えたり、水に例えたり、名は知らないがあえて名づけるならば「道」と呼び、「道」は天であり、地であり、人であると説いています。

 

常に、自分自身、そして天地万物、過去と未来、すべて「道」と呼ばれる無為の働きによってつながっているのでは、と思えてきます。部分は全体の情報を内包している、という考え方です。東洋医学を学ぶ上で、基本となる考え方です。考えてみれば、60兆個ある細胞一つ一つにも、全身の情報がDNAに記録されているのでしたね。

 

「太一」の話から、もう一度「天・人・地」に戻ります。

 

大いなる一という太一から分かれ、天地ができ、天と地の二気が交流して、人が育まれます。太一は無能であり全能でもあったものが、「天・人・地」に分かれてからは、長所と短所があり、それぞれの役割や性質があるというのです。この3つそれぞれに備わった異なる働きを、総称して「三才」というのです。

 

天地に全功なく、聖人に全能なく、万物に全用なし。故に天は生覆をつかさどり、地は形載をつかさどり、聖人は教化をつかさどる

列子・天瑞》篇

 

それぞれ働きが違うがために、3者がうまく回る必要があります。

天と地と人が各々の役割を果たして協力しあうととることもできますし、

天は物を載せることができず、地は人を教化することができず、聖人は天の理に逆らうことはできない、というように、3つ巴のような関係ともとることができます。互いの扶助・制約関係は、五行思想と似ています。

 

 

2.自然界の清気・水穀の精微・父母からの腎精

人が生きていくには、天と地の気(エネルギー)を受けて生命活動を維持する必要があります。天と地の恩恵を受けずに生きることはできません。

 

天の気とは、空気です。我々ヒトは酸素を吸って二酸化炭素を吐く呼吸によって活動のエネルギーを得ています。呼吸を止めて天の気を取り入れなければ、たちまち死んでしまいます。東洋医学では、この天の気のことを、「自然界の清気」と呼んでいます。

 

地の気とは、飲食物です。食事をすることで、太陽のエネルギーを元に地が育んだ動植物の高純度なエネルギーを取り入れなければ、すぐではありませんが数日で死んでしまいます。そのために、食物連鎖の理から逃れることはできませんが、他者を通じて地の気によって養われるわけです。飲食物から得られるエネルギーを、東洋医学では「水穀の精微」や「後天の精」と呼びます。

 

天地から栄養されるだけではなく、ヒトが生まれ成長するためには、父と母からのDNAを受け継がなければなりません。このDNAのことを、東洋医学では「精」と呼んできました。精は腎が蓄えつかさどっていると考えられていますので、生まれて成長するためのエネルギーを、「父母からの腎精」とか「先天の精」などと呼びます。

 

まとめますと、人は天からの「自然界の清気」、地からの「水穀の精微」から栄養され、父母からの「腎精」によって生まれ成長するのです。

 

3.「魂と魄」、「気と味」

さて、それではヒトが死んだ時のことはどのように考えられているのでしょうか。

 

死ぬと魂が抜けると聞きますが、死んだ瞬間に体重が何グラムくらい減った、と研究した人がいたと聞いたことがあります(その真偽はよく知りません)。

 

東洋医学では、ヒトが亡くなった瞬間に、「命門」という腰のあたりのツボ(第2-3腰椎間にあります)から魂が抜けると考えています。ですから、ヒトが亡くなった直後に「命門」のあたりを触ると、そこだけ冷たいらしいです(さすがに、機会があっても、おいそれとできないですよね^^;)。

 

この命門は腎の間に位置し、腎というのは左右あり、人体における陰陽の要です。先程述べた腎精(先天の精)と呼ばれる人間の生命活動の中枢がこの部にあり、その反対に位置するお腹側はお臍で、「丹田」のある部位です。

 

ヒトは丹田や命門のある骨盤部が、エネルギー発生と貯蔵のセンターとなっているため、次代の命である子を成すための子宮や卵巣・精巣などの生殖器官も、必然的にこの部に位置するわけです。

 

「命門から魂が抜ける」という考え方は古くから例えば道教の中ではありましたが(ただし、もともとの仏教では霊魂の存在は認めません)、魂は抜けるとフワフワと天に昇っていきます(魂の「云」は、雲の意)。

 

そうすると、地には何が残るかというと、「魄」が残るのです。「魄」とは、白骨のことだと思ってください。

 

要するに、人は生きている間は天地のエネルギーの恩恵を受けていますが、死ぬと天と地に魂と魄という形で借りていたものを返さないといけないということです。

 

これが、死する時に現世への怨みがつよいと、魂と魄を天地に帰さず、「魂魄この世に留めて…」と四谷怪談のお岩さんのようになってしまうということです。

 

また、天から清気、地から穀味を受けるという意味で、「気と味」などと表現します。天地の気の交流が悪く、雰囲気の悪い様や、お化けでもでそうな雰囲気のことを「気味が悪い」なんて表現するのも、このあたりからきているのでしょうね。

 

 

4.上・中・下

「天・人・地」は、そのまま「上・中・下」という位置概念であるといえます。

 

これを人間に当てはめて考えるのです。

当てはめるのは、身体のどの部位でも相応するのですが、まずは全身に当てはめてみましょう。

 

人体における天(上部)は、横隔膜より上であり、つまり前胸部から上の首と頭部までです。内臓では、心と肺が当てはまります。

人(中部)は、横隔膜より下でおヘソより上までです。内臓では、胃や脾臓(東洋医学では狭義には膵臓のこと。西洋医学でいう脾臓と少し違うのです)や肝臓や胆のうが当てはまります。

地(下部)は、おヘソより下の部位で、腎臓や大腸・小腸、膀胱や生殖器があります。

 

ここで、上部、中部、下部と言ってますが、東洋医学ではこれを「焦げる」という字を使って、上焦、中焦、下焦と特別な言い方をします。合わせて三焦(さんしょう)と呼び、臓腑の一つに入れて考えられています。

 

さて、上下の気が交流する時、真ん中に位置する「中」の働きが大切であるという考え方が生まれます。

 

これが「脾胃論」と言われるもので、人間胃の気がなくなり食べれなくなると死んでしまうのです(現代は延命によってすぐには亡くなりませんが)。ですから、胃の気を重要視します。五行思想においても脾胃が肥沃な土であると考えるため、土を中心に据え置くのです。そのような意味で、胃の気を重視する流派が存在します。

 

天地二気の交流は、中焦である脾(己つちのと)の昇清作用と胃(戊つちのえ)の降濁作用の働きを借りて、スムーズに行われるということになります。詳しくは、またの機会に述べさせていただきます。

 

 

次に、顔面に上・中・下を配するとどうでしょう。

上:目から上のおでこ

中:目から下、上唇のあたり

下:下顎

と分けられます。

三叉神経というのがありまして、顔面を三つに分けて知覚支配している脳神経ですが、東洋医学における顔面の上中下の領域は、その支配領域とほぼ同じ範囲となり符号しています。

 

ツボの名前も、上部には通天・天衝など「天」のつくツボがありますし、中部には「人中」、下部には「地倉」というツボがあり、天人地という名前がそれぞれついています。

 

また、鼻から天気である自然界の清気を取り入れ、口から水穀を摂取することで地の気を取り入れるので、鼻は天、口は地であると言えます。その鼻と口の間に「人中」というツボがあることは、興味深いことです。顔面にも天地人の概念が活きています。

 

気絶すると、この「人中」のツボを天の方向(鼻に向けて)に向かって強く押さえて意識を取り戻させることが可能です。

 

突然のショック症状や衝撃により、気が腎まで降って昇らなくなりますから、天の気と地の気が一時的にうまく交流しなくなり、気が絶してしまいます。先程述べた理屈で、真ん中である「人中」を上に向けて押さえて気を天まで上げてくることで、再び天地の気が通り、気絶から回復させることができるのです。この時、一緒に「労宮」のツボを押さえても良いでしょう。驚いた時は、腎に気血がいってしまいますので、まず心臓に血液を返してやるのです。過去に、骨折のショックで意識を失った方で、人中と労宮を押さえて意識が戻られた方がいました。(心室細動で倒れた方や事故などで動かしてはいけない危急の場合はAEDや救急車が必要なので、やらない方がよいでしょう)

 

中国の方は、対(つい)の概念も好きですが、3つのまとまりも好きです。日本人の名は4文字の場合が多いですが、中国人の名前は3文字が好んで付けられます。

 

老子》の有名な一節「一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず」にもあるように、三は特別な意味をもっています。三つあれば多様性が生まれます。

 

万象を現す易の卦も三つの爻ずつで成り立つことや、DNAの設計図をもとにアミノ酸が3つのコドンにより記述されて多様なタンパク質が合成されることも想起させられます。

 

ですので、天・地・人の他に、「日・月・星」、「精・気・神」「気・血・津液」「生・旺・墓」「水・火・風(アーユルヴェーダ)」などの3つまとまりの概念があります。

このような考えから、今後も解説してゆくことになると思いますが、三陰三陽の概念なり、顔面を天、手を人、足を地として脈を診察する三部九候診の考えや、三焦の概念が派生していったのではないかと思います。

 

 

5.さいごに

天地人の概念はそのまま東洋医学哲学の世界観と直結しています。このイメージをもちながら古典を読んだり治療にあたることで理解が深まりつながりが生まれるので、大切であると思います。

 

天は動くもの。地は動かないもの。

このように書くと天動説のような印象を受けますね。しかし、やはり四季は巡り天の六気の影響を人は受け、地は動かないことで人は安定して生活ができます。そのような意味で、天地の役割を捉えていけばよいと思います。

 

人は天道と地道の二つの理の中間にあり、二気の栄養を受けて生かされているため、両者の性質を兼ね備えることになります。

そのため、天地の状態が乱れると、人間もその影響を受けるのですが、個々人の身体の強弱や体質、その時のコンディションによって、受ける影響の大きさにも多少がでてくるということになってきます。

このような個人差を考慮した診察法が、東洋医学の良いところであるとも思えます。1つの薬の開発が何百、何千万人もの単位で一挙に救うことのできる西洋合理的な科学を基礎とした現代医学は、やはりものすごい威力がありますし、恩恵も多大なものですが、個人差を考慮した個々の問題ということになると、東洋医学の強みではないかと思います。

 

残念ながら、天と地の状態を変えることは難しいので、人間の方が天地の動勢に合わせて、生活を変えなければなりません。そういった智慧を、養生というのでしょう。

 

もっとも、エアコンなどで環境の調節ができるようになりましたが、過剰な使用により、逆に体調を崩したり、そのほころびが気候変動にも影響してきています。天も地も人も、色々な面でつながっているので、人の環境を無理に変えれば、天地が狂いますし、難しい問題です。昔と比べると扱うエネルギー量が膨れあがっていますから、さらに加速度的に変化していくことでしょう。

 

先進国だけが快適な生活をすると、発展途上国の人々がまずそのツケを支払わなければならなくなります。

 

こういった問題も、天人地という広い視点で、なんとかバランスを保てないものでしょうか。

 

 


 

 

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鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU – 京都東山三条「痛み」で悩む方のための専門院

東洋医学における陰陽とは(2)

こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

前回に引き続き、陰陽についてのお話です。

 

前回の話は、陰陽の一元性、二元性の話でした。本質は一つであり、二つあるわけではなく、陰陽は一つの本質を二つの尺度でみる見方であるということです。ただ、陰と陽という二つの軸をたて、二次元座標的に考えるという二元的なデジタル思考はとても便利なため、実際上はそのように扱われています。便宜上、当ブログの中ではそのような記述になることもご了承ください。

 

 

1.陰陽の二字

まずは陰と陽の字義について考えてみます。

 

初稿の〈「気」の概念から東洋医学を考える〉でも述べましたが、

 

もともと陰と陽の字は、中国最古の詩編詩経》などには、単に日陰(ひかげ)・日向(ひなた)の意味で用いられています。

 

後漢代の辞書《説文解字》には、陰については

陰、闇也。水之南、山之北。

陽については

陽、高明也。

 とあります。

 

まず陰の字に関してですが、ウィクショナリ―で字源を調べてみると、

阜 おか)+音符「」(「  」()+音符「」( 口に含む)>「かくれる」)の意であり、丘の日陰側が原義。

                               Wiktionary 「陰」

とあります。よく山陰とか山陽とかいうのはこのためなのですね。丘や山や雲によって日の光が遮られる状態を表しているようです。

 

つぎは、陽に関してですが、

)」()+音符「」。昜は日が昇る様。

                        Wiktionary 「陽」

 さらに、「昜」は「日+丂+彡」から成り立っており、丂は上に伸びていくこと、彡は光が発散する様を表し、日が高く昇ることを意味しています丘や山の上に日が昇り照らしている様です。《説文解字》において「陽、高明也」という記述とも合致しています。

 

まとめますと、陰は光が遮られた部分、陽は光が当たる部分で、陰陽のもともとの二字はそのまま日陰と日向の意味であったことが分かります。

 

2.気の概念と陰陽の合体

古人は、一体なる自然の在り様を曇りのない眼でみつめることで、二つの大きな流れと循環があることに気がついたのではないかと考えます。

 

その流れとは、万物は生まれ、そして死んでいくということです。この永遠の循環に、まずは目を向けたのではないでしょうか。

 

一日の中で、太陽が昇れば、また沈んでいきます。

また一年の中で、花が咲けば、枯れ、実をなして、春になればまた咲き誇ります。

 

生まれて成長していく過程と、

成熟して衰えていく過程です。

 

気という本質によってつくられた万物が、生物も無生物も含めて、生の過程と死の過程という二つの流れにより不断に変化していくわけです。

 

目に見える現象の変化から、事象の裏に隠れた目には見えない気というエネルギーの働きの存在に気付きはじめました。

 

そうして、これらの働きは、日陰と日向を意味する陰と陽という語と次第に結びつけられたのです。前述の《詩経》の中には、陰陽の二字はありますが、気という字は使われていません。戦国時代の《荘子》になってから、陰陽の語と気という語が一緒に使われるようになりました。

 

つまり、太陽が昇り万物を照らし暖め、成長のエネルギーをもたらす過程を「陽」、太陽が沈み冷え固まって万物の活動が衰える過程を「陰」で象徴しました。

 

日向は明るく暖かい→万物は温められ運動・膨張・成長

日陰は暗く冷たい→万物は冷えて凝集・収縮・静養してエネルギーを蓄える

というように、日向と日陰のイメージが、気の循環過程と見事に結びついたのです。

 

3.陰陽の重要性

黄帝内経素問・陰陽応象大論篇》には、陰陽について、このような記載があります。

陰陽者、天地之道也。万物之綱紀、変化之父母、生殺之本始、神明之府也、治病必求于本。

とあり、これはもう相当に陰陽というものが優れた概念なんだよと説いているわけです。

 

意訳しますと、

「陰陽は、自然の道理であり、万物の成長、消滅の変化の従うべき綱領であり、変化と生殺の根本、自然の神明なる変化流転の内在エネルギーの宿るところであり、病を治療するには必ずこの陰陽を求めよ」

となります。万物は陰陽の法則から離れることはないといっています。

 

ですから、鍼灸家や漢方家は、診察の際に必ずこの陰陽の変化を捉えて病状・病勢を把握することに徹します。

 

すべてをこの陰陽に結びつけるわけです。

 

4.陰陽の具体的性質

陰陽について個別にもう少し詳しく説明します。

 

▶︎陰の性質は、求心性です。

日が当たらず冷たく冷え固まって、小さく重たくなり下に降り、静的です。

 

▶︎陽の性質は、遠心性です。

日が当たり暖かく発散して、軽く浮上し広がり、動的です。

 

これに当てはめて考えれば良いのです。

 

例えば、人間の部分でいえば、日焼けする背中は陽です。日焼けしにくいお腹は陰です。もっといえば、胎児の時に丸まっていますので、その時に内側にきている部分は陰です。もともと四つ足動物であったと考えても同じことです。

 

ただ一つ注意が必要です。

水に例えましょう。

冷えて固まると氷になる(陰)ので、陰の性質は硬いのではないかと思ってしまうのですが、陰の性質は柔(やわらか)です。これは、陰が水を象徴し、滋潤(うるおす)作用があるからで、こちらの性質を代表させているからでしょう。しかし、陰は同時に固める作用があるのも事実です。(→陰陽の多義性:以降で述べます)

老化により身体が硬くなるのをみれば、陰の性質は硬いのではないかと思うでしょう。しかし、老化により身体を潤す陰の水分が減ったから身体が硬くなったとも考えられます。ここは、事象により、何を対象、基準にしてみているかによって、考えなければならないポイントです。

※死後硬直により硬くなるのは、陰が極まり、転じて陽(硬い)となったと考えてもいいわけです。

 

同様に、水に熱を加えると蒸発して軽くなり浮上してしまうので、陽が柔らかいのではないかと思うかもしれませんが、陽の性質はその動的性質と力強さから剛健を表し、硬い方を象徴します。

 

5.陰陽のルールと相補性

陰陽概念の運用には以下に示す一定の決まりがあります。

▶︎陰陽対立

▶︎陰陽消長

▶︎陰陽互根

▶︎陰陽転化

▶︎陰陽可分

順に図をみながらご説明します。

 

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白の勾玉と黒の勾玉が抱き合った形のよく目にするマーク。「太極図」とか「陰陽図」と呼ばれます。

白色が陽、黒色が陰をあらわしています。

 

陰陽は、光と闇など対立関係にありながら、一方が暴走しないよう互いに制約する相互作用関係にあります。これを「陰陽対立」といい、図のように常に二つで一つとなっています。

 

そして、一方が長じると、他方は減じます。ちょうどシーソーの一方が高くなれば、他方は低くなるように、陽が多くなれば、それに伴い陰は小さくなっていきます。全体の総量としては変わらず、陰陽の配分だけが変化するのです。これを「陰陽消長」といいます。

 

そして、シーソーの両端を陰と陽とすれば、本体の中心にある支点の部分を基に陰と陽が変化します。これを陰陽の根っこと捉えて、陰陽は同じ土台に根ざしているという意味で、「陰陽互根」といいます。二つのものが実は一つの本質の支えの基で変化流転しているのだよ、という意味で、基本的に陰陽は分離せず、二つで一つ、相互依存関係にあるのです。

 

この土台の大きさは様々に設定することができ、例えば元気いっぱいで気が充実している人は大きな陰陽図の上で陰陽のバランスを取ります。逆に元気がなく気が不足している人は身体も弱々しく、小さい陰陽図を土台にして、陰陽があるということになります。

 

そのような土台の上で、陰陽どちらか一方が最大もしくは最小となった時に、陰陽が逆転します。よく言われる「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転じる」です。一年で例えれば、真冬になり、日がどんどん短くなり陰気が長じて陽気が消えそうになりますが、冬至になった瞬間に、陽気が再び生まれるのです。これを「一陽来復」と呼んでいます。この働きを「陰陽転化」といい、このようにして循環が成り立ちます。

 

陰陽図の中にある小さい○と●が表すのは、「陰の中に常に陽があり、陽の中に常に陰がある」ということです。「陰中の陽、陽中の陰」といいます。さらに、陰の中にも陰陽があり、陽の中にも陰陽があります。陰陽は際限なく分割して考えることができるので、この原則を「陰陽可分」などと呼んでいます。

 

このように、陰と陽は入れ子構造となっていたり(重層性)、論じる場によって陰陽が変わってきたり(相対性、多義性)するため、実際には複雑な面もありますが、簡易的にイメージをするため、以下のような図を作成しましたので、参考にしていただければと思います。

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先ほど陰陽の一方が増えれば、他方が減るという「シーソー」のイメージをグラフにしてみたものです。正弦曲線(サインカーブ)で表現することができます(陽はsinθの曲線、陰は-sinθの曲線で表しています)。

図のように、陽が最大であるとき(陽のシーソー端が最も高い位置にあるとき)、陰は最低(陰のシーソー端は最も低い位置にある)です。そして、陽が最高点に達した後は、衰退していく(シーソー端が低くなっていく)ことがわかると思います。

気一元的に考えるのであれば、正弦曲線グラフは赤か青のどちらか一つでも表すことができます。1に近づいていく方向を陽、-1に近づいていく方向を陰と考えればよいわけです。棒グラフの場合も同様に、一本の棒磁石のN極とS極の割合が変化するだけです。

 

基本的な陰陽を運用する上での5つのルールをみてきましたが、すべては対立しながらも互いに離れず、相い補い合う関係にあるため、「相補的である」ということができます。

 

6.太極図のそもそも

最後に、よく目にするので認知度もそこそこあるかと思われる太極マーク(太極図)ですが、そもそもどのようにして描かれたものなのでしょうか。

 

太極図は別名「陰陽図」ともいいます。今までの記述で、このマークが陰陽の対立や消長を表すことが分かってきましたが、それもそのはずです。実はこのマークは、「陰陽図」という文字通り、古人が自然の陰(かげ)と陽(ひ)の移り変わりを記録し、象(かたど)ってできあがったものなのです。

 

それでは、どのようにして陰(かげ)と陽(ひ)の移り変わりを記録したのでしょうか。

 

それは、圭表という棒を地面に立てて、地面にできる影の長さを一年を通じて逐一記録したのです。

 

どうしてそのようなことをしたかというと、

棒の影の長さによって、太陽の南中時刻や高度、太陽の運動や季節や緯度を推測することができたからです。

 

太陽の南中高度が最小となる時期を割り出して、そこを出発点として暦を作り、農業や政治に活かすことができました。

 

古人がどの程度のスパンで影の長さを記録したかは分かりませんが、とりあえず二十四節気ごとに影のながさを円形にプロットしてみましょう。下図のピンクの部分が影の長さの割合を表しています。

 

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二十四節気と陰陽図

見事に、太極陰陽図が現れていますよね!自然の理がつくったデザインともいえます。

 

それでは、「冬至」の部分に注目してください。一年の中で最も日が短く、南中時にできる影のながさが長い節気です。要するに、陰が極まったところです。

そして、「冬至」を過ぎて、春に向かうにつれて陽気が生じはじめ、次第に日照時間が長くなり、影のながさは短くなっていきます。このような自然のサイクルが、陰と陽の絶え間のないエネルギーの交流が、このマークに表現されているともいえます。

 

ただ棒を地面に立てて影をみる・・・たったそれだけで暦を作り、生活や農業や政治に活かし、学問や医療の根幹となる思想をつくりあげた古人の叡智に驚かされるばかりです。

 

 

陰陽について、2回に分けて書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。自然のさまざまな事象を陰(かげ)と陽(ひ)に代表させるシンプルでありながら奥深い陰陽論、まだまだ内容はたくさんありますが、今回はここまで。

 

陰陽論は、この後五行学説と結びつき、陰陽五行説としてさらに東洋哲学・東洋医学の重要な概念となっていきますので、のちのちご紹介していきたいと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

京都東山三条 鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

東洋医学における陰陽とは(1)

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こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

今回は陰と陽についてのお話ですが、その前にプロローグとして、一元性、二元性についてのお話になります。

 

さて、陰陽というと、なにやら世界が陰のモノと陽のモノの二つからできているのであると、古代ギリシア四元素説的な解釈をしてしまいがちですが、そうではありません。

 

東洋医学的な観点では、世界はもともと、混沌とした一つのものでした。その一つであった状態を、太極なり太虚なり無極と呼んでいます(厳密には太極と無極は別の状態を指しますが、ここではあえて触れません)。

 

一つのものから、分かれて、最終的に現在の現象世界における多様で複雑な世界が形づくられたと考えるわけです。ですから、もともと二つであったのではなくて、一つです。

 

これは、世界を二つの異なるもの・原理から成り立つというところから思考がスタートする、デカルトプラトン物心二元論朱子学の祖・朱熹理気二元論などとは異なります。

 

前者(東洋哲学の観点)は、世界は一つの原理・要素で成り立っていると考えるわけで、この思考を一元論といいます。

 

ここで、陰と陽は二つじゃん!!って思う人もいるでしょう。それはその通りです。

 

陰と陽というのは、一個の世界を相対的な見方でみているということです。一枚のコインの裏と表、みたいな表現はよく聞きますね。

 

陰と陽の話をするとき、例えば男と女、善と悪、形而上と形而下、というように、二元論と同じく二項対立的な分け方をするので話がややこしくなるのですが、陰陽概念自体が絶対的なものではなく、相対的な概念なので、二元論ではないということですね。

 

ここで使った「相対的」という意味がどういうことかといいますと、例えば人間の身体でいえば、お腹側は陰です。その時、背中は陽になります。しかし、お腹側の中でも、胸は陽であり、腹は陰です。腹の中でも、臍より上は陽、臍より下は陰です。つまり、陰である腹の中で、陰陽がさらに細分化されることになり、陰陽の中に陰陽があるという入れ子構造となっています。これを陰陽の「重層性」とか「陰陽可分」と呼びます。従って、絶対的な陰、絶対的な陽というものはなく、陰が極まれば陽に転じ、陽が極まれば陰に転じる・・・。例えば、先ほどは陰であると思っていたお腹が、今度はもっと奥にある内臓と比較して見てみれば、お腹は陽になってしまう。これを「陰陽転化」といいますが、この性質を陰陽の「相対性」「多義性」と呼ぶわけです。

 

一方、二元論という語を「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」で調べると、

異質で相互に還元不可能な2つの原理を基礎とする宗教的世界観や哲学説などのこと。

 とあります。"相互に還元不可能な2つの原理"とありますが、陰は陽に転化し、陽は陰に転化するわけですから、相互に行き来が可能で、万物が絶対的な陰と絶対的な陽の2つに帰納されるわけではないんですね。陰と思っていたものも見方によっては陽に扱われてしまうわけですから。

 

だから、陰陽二元論とは、本当はいいません(というのは私の意見です)。

 

それでも、陰陽はやはり二元論であるという反論はあるかと思います。実際陰陽は二元論であると書いてある書物やWEBサイトの方が多いですから。陰陽そのものだけに限っていえば、そうなのかもしれません。しかし、陰陽概念だけを取り出して、二元論であると考えるのは本末転倒です。もともと東洋医学・哲学は一元論なのですから。

 

陰陽二元でなく、一元論であるというなら、その一は何なのかと言いますと、「気」です。東洋哲学は気一元の理論なのです。気という概念なり物質が(気は概念であり物質でもあります)、様々に流転変化して複雑多様な現象世界を創っていると考えるわけです。

(ヒモ状の広がりをもった物質が最小単位であると考える超弦理論においては、そのヒモが閉じているか、閉じていないか、またはどの程度振動しているかによって多様性が生まれるとしていますが、元をたどれば世界はヒモという1つの物でできていて、万物を説明しようとするわけですから、これも一元論なのかもしれません。ヒモ一元。)

 

一元論とは、ちょうど水面に小石を一つ落として、波紋が広がっていく様と同じと思っていただければ良いです。一から多へと投射するような考え方です。余談ですが、一つの原理から広げていく見方なので、これは思索の方法でいえば、「演繹(えんえき)」に相当します。

 

一方、二元論の場合は、この波の起点が二つになり、波同士が幅寄せていくような思考で、複数の点から原点へと回帰するわけですから、帰納法に似ています。

 

話がそれたような気もしますが、ここを出発点としてしっかり押さえておかないと、東洋医学・東洋哲学の認識が間違った方向へと進んでしまうのではないかという老婆心(!?笑)から、しつこく解説しております。

 

なぜこの部分が大切であるかというと、生命というもの、あるいは宇宙というものは一体のものであるのに、そこからの視点を忘れて、まるで陰と陽という二つのものが最初にあって、生命なり宇宙を分析しようとしてしまうことに陥ってしまうからです。これを忘れて勉強してゆくと、例えば「五行」という概念がでてきたら、木・火・土・金・水という5要素から人間ができているのだと考えてしまうことになります。

 

これは、現代医学の観点と同じなんですね。人間は、頭に脳があって、胸に心臓と肺があって、お腹に肝臓と胃と腸と膵臓があって・・・心臓はいくつの弁があって・・・とどんどん専門に分かれていってしまうわけです。次第に、パーツ(部分)が集まってできたのが人間という観点になりますから、さきほどの思索の方法の話でいけば、これは「帰納法」なのです。

※念のため、「演繹」と「帰納」のどちらが優れているとかいう話ではありません。ただ、どちらかといえば現代医学の思考は「帰納」の手法が色濃いですし、東洋医学の思考は「演繹」主体であり、相補的な立場であるということです。

 

ではどうして分けるのでしょうか。それは、分かりやすいからです。

 

もともと聖人は、自然をそのままに見つめることができました。混沌とした太極の世界の中にあっても、言葉を用いずありのままに認識できたため、分ける必要などなかったわけです。(曇りなき眼というやつです)

聖人處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭・・・

(聖人は無為の立場に身をおき、言葉によらない教化を行う。万物の自生にまかせて作為を加えず・・・        

    『老子』蜂屋邦夫/訳注 岩波文庫

 

しかし、聖人に比べて知恵のない者に教え広めるには、そのように分けて教えなければ伝わらなかったのでしょう。

 

次第に、本来の自然を一元のままにみつめる、という観点は忘れさられてしまったように感じます。東洋医学の、全体を有機的な統一体として観ることを意味する「整体観」という語は残ってはいますが。

 

一体なる世界を、陰陽という二つの角度からみて、さらに五行という五つの観点から見れば、分析的に思考を進めることができるのは、それは確かです。ですから、実際に東洋医学を勉強しようとするならば、一である太極の視点、陰陽という二の視点、天地人三才という三の視点、四という四象四時の視点、五という五行の視点・・・など、自分がどの立場に立って眺めているのかを常に意識しながら、その根底には「原道」たる一のものをみつめているのだということを忘れなければよいと思います。

 

当ブログでも様々な内容をご紹介しますが、まずは、この「一」の観点を是非覚えておいてください。それが東洋医学の魅力を知る第一歩であると思います。

 

最後に、締めくくりとして、《淮南子》における序文を掲載します。

夫道者,覆天載地,廓四方,柝八極,高不可際,深不可測,包裹天地,稟授無形;原流泉浡,沖而徐盈;混混滑滑,濁而徐清。故植之而塞於天地,橫之而彌于四海;施之無窮,而無所朝夕。舒之幎於六合,卷之不盈於一握。約而能張,幽而能明,弱而能強,柔而能剛,橫四維而含陰陽,紘宇宙而章三光。甚淖而滒,甚纖而微。山以之高,淵以之深,獸以之走,鳥以之飛,日月以之明,星曆以之行,麟以之遊,鳳以之翔。

<読み下し>

夫れ道なる者は、天を覆い地を載せ、四方に廓り、八極に柝く。高くして際む可からず、深くして測る可からず。天地を包裹し、無形に稟授す。源より流れ泉の浡くがごとく、沖しくして徐ろに盈ち、混混滑滑として、濁れども徐ろに清む。故に之を植つれば天地に塞がり、之を横たうれば四海に弥り、之を施せば窮まり無くして、朝夕する所無し。之を舒せば六合を幎い、之を巻けば一握に盈たず。約なれども能く張り、幽けれども能く明らかに、弱けれども能く強く、柔らかなれども能く剛し。四維に横たわりて陰陽を含み、宇宙を紘ぎて三光を章らかにす。甚だ淖らかにして滒く、甚だ纖くして微かなり。山は之を以て高く、淵は之を以て深く、獣は之を以て走り、鳥は之を以て飛び、日月は之を以て明らかに、星暦は之を以て行り、麟は之を以て遊び、鳳は之を以て翔ける。

 出典:『訳注「淮南子」』池田和久 講談社学術文庫

 

 

鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

京都東山三条 鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

2019年の運気

みなさま、こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

五運六気、略して運気と呼びますが、《黄帝内経素問》中にある天元紀大論・五運行大論・六微旨大論・気交変大論・五常政大論・六元正紀大論・至真要大論の七篇で構成され、総じて運気論と呼ばれます。

 

宇宙の法則および自然の気候変化が、万物と人に対する影響を論ずる天人相応の論理思考と観念です。

 

今回は、本年である2019年の運気をまとめてみます。

 

 

運気を理解するには、陰陽や五行に関する基礎知識や専門知識が必要になるのですが、

 

当ブログ内で個別の知識をセクションに分けて、

別の機会に追々解説していこうと考えています。

 

またそのような知識がなくても、

読んで頂ければなんとなく今年はどのような年になるのか雰囲気は伝わるかと思います。

 

今回挙げた運気が現実の気象と一致しているかどうか、あげつらうのも面白いかもしれませんね。笑

 

運気論に興味をお持ちの方は御一読ください。

 

 

 

 

 

 

2019年は己亥の年。

 

▶︎亥年は天刑の年

 

司天(上半期): 厥陰風木

中運(大運)   : 土運不及

在泉(下半期): 少陽相火

 

司天の木が中運の土を剋す。

天の気が中運を克すので今年は天刑の年となる。

 

厥陰司天の年は中運が不及である。

したがって、己(つちのと)は陰干であるので少宮土運不及の年であり、我を克す木の風気が勝気となり、我が生む金の清気が復気となる。

この年、運気が雨、勝気が風、復気が清である(素問第71六元正紀大論篇、20節)。

 

勝復の気が現れる時期を邪化日といい、勝気は土用と長夏、復気は秋の時期にあたる。災害の起こる地域は中央五官(中原地区:黄河下流域。災害の起こる場所に関しては、黄帝内経中では中華本土のことを記載しているため)。

 

 

▶︎土運不及と木の平気の両方の化育の作用が現れる

 

司天の木気が土に勝つので、木兼土化(兼化)となり、木運が平気となったうえで土運不及を兼ねるため、木の平気と土運不及の両方の化育が現れる。

 

土運の不及を卑監(減化)といい、土の生化の気が損なわれ、万物は軟弱無力となる。そのうえで、木の生化の気が旺して、土運が更に衰えることにより土運が木気に温順しく従うため、木が平気となる。

 

(平気とは、太過でも不及でもない気を指す)

 

したがって、木の正常の徳性である敷和の作用により草木自然は外見が美麗に繁茂するが、土気の不足により中身があまり育たず、穂が出ても実がつかないなど、内実を伴わない。中でも黄色の穀物に関しては育ちが悪い。

 

また、土気の不足により水気が制御されなければ、雨が不規則に降ったり湿雨が続く。

 

もし、木が変じて災いとなると(勝気の出現)、狂怒の旋風(非常に強い風)が吹いて草木を揺らして枝葉をヘシ折り、凋落させる。

 

土鬱の発気が金の復気を引き起こし、木に報復すれば、秋の収気である厳粛な峻烈の気が、堅固な樹木の枝葉をも落とすようになり、土の生気はますます抑圧される。甘く黄色い作物は虫に食べられ、青色の穀物が害を受ける。

 

人体への影響に関しては、

脾土が侵されるために、消化不良の下痢や嘔吐、胃腸が張って通ぜず、感染性の化膿性疾患(土が水を剋せないので膿がたまりやすい)が多くなる。

風木の邪気により、筋骨が動揺して肌肉がひきつれて痛み身体が重だるく、常時怒りっぽくなる。

金の復気が現れてからは、胸脇の痛みや下腹部痛、食欲が減って味がわかりにくくなったり、溜息が多くなる。

 

下半期を主る在泉少陽相火の影響が現れれば、風や熱気が旺盛となるので、冬眠するはずの動物は眠らず活動し、河川の流氷は凍らないなどの現象がみられる。

また、土が火気の助けを得るがために、木気が土を剋しておくことができなくなるが故、金の復気の反応もなくなり、土気が平定し、人々は健康で快適に感じるようになる。

 

但し、司天の厥陰風木と在泉の少陽相火により、風と火が互いを煽り立て、温熱と風の気候が強くなり過ぎれば、人体にも急に症状が現れ、高熱がでて津液が傷つけられ、眩暈や耳鳴りが起こる。

 

司天の政は揺れ動き、在泉の令は迅速にして、青色と赤色の穀類(歳谷という)に応じ、間谷は左右間気を感受して成熟できる。寒毒の物は生長できず、火が金を剋し、辛味の作物は生長できず、苦味と酸味の物は生長する。

 

(上述の自然現象や人体への影響は黄帝内経素問第69篇気交變大論、第70篇五常政大論に散見する記載をまとめたもの)。

 

 

 

 

 

さて、上記が黄帝内経に書かれた内容を2019年版としてまとめたものです。

 

亥年は基本的な気候や自然現象がこのようになるでしょうということで、この他に大運の気淫や気迫、司天在泉の気交の強弱と失守位や、客気の不退位や不遷正、勝復の気の出現など、不確定要素による影響があり、それらによっては必ずしもこの通りにならないとしています。

 

 

場所に関しても、中国や日本では通用するかもしれませんが、北欧や南米など緯度が違えば、陰陽の気の配分が異なるので(極に近づけば近づくほど、陰気と陽気の偏りも極端になり、四季のような多彩な気候も現れにくくなる)、ここに書かれた内容の通りにはいかないでしょう。

 

そういう傾向がある、ということです。

 

ただ、運気という一定の規律に従って、

自然現象を説明しようとするのは大変に興味深いですね。

 

ここまで読んでくださった方なら、おそらく私と同類(笑)、このようなことに興味をお持ちの方なのでしょう。

 

 

 

 

 

これまでは、今年一年を通しての大きな運気をみてきました。

 

ここからは、一年を各六気の時節(六歩といいます)に分けて、今年の運気を再度確認していきましょう。

 

六気ではなく、

五運によってみていく方法もあるのですが、

今年は気が運に剋つ天刑の年ですから、気の方を主にみるという考え方があります。

 

したがって、本稿では天干から算出する五運の分析は割愛させてもらい、地支から算出する六気の方を記述しておきます。

 

 

 

▶︎主客加臨

毎年の六気には、主気と客気の別があり、

主気の次序は毎年同じで変わりません。

客気の次序はその年の地支によって変化します。

 

毎年不変の主気の上に、

年ごとに変化する客気を載せて分析するのです。

 

これを「客主加臨」といいます。

 

 

 

詳しい推算方法は別稿で解説する予定ですが、

まずは本年の主気及び客気の六歩を示します。

先に2019年の各歩の期間を表します

(一歩は60日と87.5刻で4つの節気)。

 

 

第一歩(初之気):大寒啓蟄  1/20〜3/20

第ニ歩(二之気):春分立夏  3/21〜5/20

第三歩(三之気):小満小暑  5/21〜7/22

第四歩(四之気):大暑〜白露  7/23〜9/22

第五歩(五之気):秋分立冬  9/23〜11/21

第六歩(終之気):小雪小寒  11/22〜1/19

 

 

ここに、主気と客気を示します。

 

                 主気                    客気               逆順    

第一歩:厥陰風木     /    陽明燥金            順

第ニ歩:少陰君火     /    太陽寒水            順

第三歩:少陽相火     /    厥陰風木            順

第四歩:太陰湿土    /     少陰君火            順

第五歩:陽明燥金    /     太陰湿土            順

第六歩:太陽寒水    /     少陽相火            逆

 

と、このようになります。

 

 

逆と順を示しましたが、

主気と客気の二者間を論じる時には、

勝気があって復気はありません。

 

客気を主としますので、

客気が主気を生ずる、あるいは

客気が主気を剋せば順となり、気候の異常変化はあまり大きくありません。

 

主気が客気を生んだり剋せば逆となり、

気候の異常変化が大きく、発病しやすくなります。

(素問第74篇至眞要大論篇)

 

 

解説

<第一歩>

客気の金の涼気により、寒気厳しく殺伐の気がでるため、人においては寒性の病や流行性の風邪を患い、右半身下部に寒病が起こる。

 

<第ニ歩>

太陽寒水が少陰君火を抑え、寒冷の気がなかなか去らず、寒冷の雨水が降りやすい。

今年は木気が蔓延るので、陽気が戻り、内に熱がこもりやすくなれば、花粉症などがひどい。

 

<第三歩>

この時期司天である厥陰風木の政が最も発現するので、大風が吹く。人においては涙が出るなどの目の症状や眩暈や耳鳴りがでる。

 

<第四歩>

太陰湿土と少陰君火であるため、暑湿の気がでて蒸し暑くなる。

人においては湿熱により左半身上部の病、黄疸や浮腫や胃腸の不調、皮膚の化膿性疾患がみられる。

 

<第五歩>

燥気と湿気がせめぎ合い、寒気が沈降して、風雨が起こり、寒気が人体に侵入しやすくなり下部を襲う。

 

<第六歩>

本年、この時期第六歩においてのみ「逆」であり、気候の異常変化が大きくでやすい。

少陽の烈火が主令であるため、陽気が興盛で、通常は冬ごもりをする虫も活動し、流氷は凍らない。

しかし、土の不及が火の助けを得るため、人においては快適に感じられ、発病するとすれば流行性の温病や瘰癧、大熱消爍し、肺金への侵襲がみられる。

 

(ここで挙げた各病症は、素問第71篇 六元正紀大論に記載されている)

 

 

 

 

以上が、2019年の五運六気でした。

 

 

治療においても、

この運気を利用して

季節ごとに治療を変えて進めることが大切です。

 

なぜなら、天人合一であり、

人は自然の影響を必ず受けて生活しているためです。

 

その人の生まれた年月日の運気が、

今年の運気と合わないがために発病している場合を、特別に「運気病」といいます。

 

その年を事前に予測して、

予防することも可能であるため、

このような知識も必要となってくるのです。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

また様々な東洋医学の記事をお届けします。

 

 

鍼灸接骨院《白澤堂HAKUTAKUDOU》

鍼灸・接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU | 中国脈診による鍼灸と関節整復により早期回復を目指す治療院

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の養生法

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こんにちは!!!

京都東山三条の

鍼灸接骨院 白澤堂HAKUTAKUDOU

院長の長濱です。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

今回は春の養生を東洋医学の観点でお伝えできればと思います。

春は物事が新しく始まり、人々の生活環境も変わる時期。

 

新しい生活が始まり良いこともあれば、ストレスもあるわけで、冬の寒さから春の暖かさへと温度の変わり目でもあり、自律神経が乱れやすく、身体の調節をするためにエネルギーを取られて疲労してしまいがちです。

 

そのような春に養生に反した生活をしてしまうと、夏になって夏バテや熱中症、風邪などで体調を崩してしまいやすくなるので、今回は春(2/4立春〜5/6立夏まで)の養生法についてご紹介しましょう。 

 

春の養生法の3つのポイントをご紹介します!

 

 

 

①ストレスを避けて伸びやかに過ごす

医書である《黄帝内経》によれば、春の三ヶ月を「発陳」の季節といいます。

 

「発陳」とは、万物が古いものを押し開いて、新しいもろもろの物を生育し、その姿形をつらね現すという意味です。

 

冬の厳しい寒さが終わり、わずかに陽気が芽生えだし、徐々に物みな全てが生き生きと栄えてくる時期です。東洋医学では、こうした自然の様子が人体観にも活かされています。

 

例えば《黄帝内経素問・四氣調神大論》には「少し遅く寝て(子刻の午後11時から少々遅寝)早く起き(卯刻の午前5時)、散歩と軽く運動をして、髪を解きほぐし、身体をのびやかにし、心持ちは生き生きと生気を充満させて、生まれたばかりの万物と同様にするのがよい」と書かれています。

 

これに反して、春の新しい環境に慣れないうちから頑張りすぎたり、気持ちが焦ったりで、ストレスをためてしまうことが過ぎれば、肝臓の気が高ぶってしまい、失調をきたしてしまいます。

 

どうして肝臓?と思われることでしょう。

 

東洋医学の人体観において、肝臓の気は「昇発・曲直・条達」などと云って、要するに上や横へすくすく伸びて広がろうとする性質をもっています。

 

このような性質は、植物が芽吹いてすくすく育つ春の気と似ているので、春になると肝臓の気が自然と旺盛になりやすくなるのです。

 

寒い冬から春になり、寒気に抵抗して陽気が上に突き上げ、地面に伏していた事物が地上に芽生え生長するかのように、肝の気が旺盛になると身体の上部に陽気が昇りやすくなり、のぼせたり、眩暈がしたり、花粉症などのアレルギーがでたり頭部の異常が多くなります。

 

このような理由で、のびのびリラックスが大好きな肝臓の気を、ストレスで抑えつけるのではなく、桜や菜の花など色づきはじめた春の清々しい風景を見ながら散歩をしたりして、大いに楽しませてあげることが大事なんですね。

 

具体的には

・軽くて動きやすい服装でしめつけない

・朝は少し早めに起きてウォーキングや運動をする

・ストレスを感じる事はしない

・散歩をしながら景色を楽しむ

・軽いストレッチを行う

・極端に暑い寒い環境を避ける

・クラシックなど弦楽器系の音楽を聴く

などです。

 

②食べ物は酸味を摂りすぎず甘味と辛味を摂る

唐の時代の医者である孫思邈の記した《千金方》には「春七十二日、省酸増甘」とあり、酸っぱいものを控えて、甘いものを摂りなさいとしています。

 

東洋医学では、酸味は気を収斂させ抑えつける性質があり、春の陽気の生長と肝臓ののびのびと広がろうとする性質に反してしまいますので、控えるようにします。また、春には消化器系統である脾臓の機能が低下しやすく、甘味を摂ることで脾臓の働きを強めて倦怠感を解消します。

 

また、《黄帝内経素問・藏気法時論》には「肝主春…春苦急、急食甘以緩之。…肝欲散、急食辛以散之」とあり、

 

春は筋のひきつりや痙攣を引き起こしやすいので、急いで甘い物を食べて緩めましょう、肝臓は発散を好むので急ぎ辛味の物を食べて発散させましょうと説いています。

 

さらに、春と肝臓の気の発散を助けるのが辛味です。冬は閉蔵の季節といい、諸々の物が閉じこもってエネルギー消費を抑えていますから、当然毒素も身体の中に溜まりやすいのです。

 

この毒素を発散させる意味でも、辛味を春に食するのは良いことなんですね。

 

具体的な食べ物は、❶ダイコンと❷香菜がオススメです。

 

❶ダイコン

中国では昔、立春の日に、貴賎に関わらずダイコンを食していました。この習慣を「咬春」と呼ぶそうです。

 

生でも火を通してでも構いません。

 

ダイコンのもつ僅かな辛味が良く、繊維も含み、消化を促進して食欲が増し、胃腸の働きを良くして、咳や痰を止める作用もあります。

 

春には消化器系統である脾臓の働きも弱りやすいので、ダイコンの辛味や甘味の物を食べるのが良いのですね。

 

 

❷香菜(シャンツァイ、パクチー)

独特の香りで好きな人と苦手な人に分かれますが、この香りは揮発性化合物である(E)-2ドデセナールなどのアルデヒドと総称される成分が関係しているようです。

 

本草綱目》には、「香菜の辛温性の味は、内は心脾に通じ、外は四肢に達し、一切の不正の気を払う」とあり、セリ科の植物の芳香が人体の気の巡りを改善する重要な養生食であることがわかります。

 

香菜が苦手な方は、芹(セリ)や、芹菜(セロリ)で代用しても構いません。セリは《千金方・食治》に、「益気力、去伏熱」とあり、身体にこもった熱を取り去ります。春になって代謝が良くなり、熱がこもって眩暈やのぼせ、花粉症や皮膚のアレルギー(湿疹)を引き起こしやすくなるので、セリの涼味が清熱してくれるのです。

 

この他にも、辛味や発散の効がある食材は、アブラナ、ニラ、玉ねぎ、カラシナ、ナツメ、落花生、シュンギク、カブ、ウイキョウ、タケノコ…などがあり、要するに旬の物を食べると良いのです。

 

ただし、食べ過ぎれば発散しすぎて気が漏れてしまいますので、何事も適度に済ませましょう。笑

 

 

③風にあたりすぎず、身体を冷やさない工夫を

《千金方》に春の服装を「下着は厚く上着は薄い、陽の生気を保養する」とあります。

 

初春の頃は寒気の影響を受けやすいため、急に着るものを減らさず、風にあたりすぎないことが大切です。

 

これは、春の陽気が人体の皮下と筋肉の隙間を和らげるため、免疫力と寒さへの抵抗力が弱るからです。春は風がよく吹き、風は寒気を運ぶため、防風を心掛ける必要があるのです。

 

また、陽気を保護する意味では、運動をしすぎたり、厚着をしすぎたり、長くお風呂にはいって、汗をかきすぎてしまうこともよくありません。

 

多少の発散は春に良いのですが、汗は陽気であり、発汗が過ぎれば陽気を損ない夏に発病します。

 

春は陽気の保護に目をくばり、「生」の気を養うことに気をつけましょう。

 

 

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